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白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 佐世保工高では、エースとして1978年夏の甲子園に出場。しかし2回戦(初戦)で栗岡英智のいた中京高に敗れた。卒業後は首都大学野球連盟の伝統校日体大へ進学。当時の首都大学リーグは原辰徳、津末英明らの強打線とエース井辺康二を擁する東海大が席巻していたが、これを圧倒し2年の秋季リーグから3季連続優勝。1980年秋の第11回明治神宮野球大会決勝では大石大二郎、宮本賢治のいた亜細亜大学を破り優勝、初の大学日本一に輝いている。3年時は春季6勝、秋季5勝を挙げて優勝に貢献し2季連続でMVP、最優秀投手、ベストナインに選ばれた。1981年の第10回日米大学野球選手権大会日本代表に選出されている。しかし4年の春・秋季リーグでは、高野光ら投手陣の厚みを増した東海大に優勝を譲る。リーグ戦の通算成績は45試合に登板、26勝8敗、防御率1.71、259奪三振。 1983年にドラフト2位で広島東洋カープへ入団。背番号は18。入団当時広島東洋カープは、投手王国の時代で中継ぎが主だったが、ローテの谷間には先発登板もする便利な存在として活躍した。角度のある速球と落ちるボールに威力があり、非常に奪三振率が高い投手であった。そして広島カープ「一」の伝説の酒豪で有名であったとも云われる。 1990年に、高沢秀昭、水上善雄との大型トレードで高橋慶彦、杉本征使と共にロッテに移籍。「お世話になったカープを去るのは辛いがチャンスだと思う」本人弁。背番号は20。移籍1年目に規定投球回数未満ながら自身初の2桁勝利(10勝)をあげ、その後抑えでも活躍。1996年に古巣に復帰した。背番号は43(以前付けていた18番は佐々岡真司の番号となっていた)。中継ぎとしてチームを支えたがシーズンオフに引退。現在は球団スカウトとしてチームを支えている〔週刊ベースボール2014年3月24日号 P20〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白武佳久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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