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白河団(しらかわだん)は、728年から11世紀の日本で陸奥国に置かれた軍団の一つである。白河軍団(しらかわぐんだん)とも書かれた。現在の福島県南部、白河郡に置かれたと推定される。正確な位置は不明だが、関和久遺跡とする説がある〔戸田有二「古代白河郡と泉崎村」6頁。〕。 == 歴史 == 白河軍団は、神亀5年(728年)4月11日に新設された〔『続日本紀』神亀5年四月丁丑(11日)条。〕。多賀城跡で出土した8世紀の木簡に、白河団が射手44人を進上したことが記される〔橋本裕「律令軍団一覧」159頁。高倉敏明『多賀城』103-104頁。〕。うち18人は「船守」すなわち船の警備についたようである〔平川南『東北「海道」の古代史』135-136頁。〕。 弘仁2年(811年)、あるいはこの年までのいつかに廃止され、陸奥国の軍団は玉造団と名取団のみになった〔『日本後紀』弘仁2年閏12月辛丑(11日)条には、2000人に減員することのみが記される。標準的な軍団は定員1000人であり、2000人が玉造団と名取団にあたることは、本文後述の弘仁6年8月23日の太政官符によって判明する。〕。 しかし弘仁6年(815年)8月には白河団など4団が設置され、陸奥国ではそれより6団6000人が6交代制で常時1000人の兵力を駐屯地に維持することになった〔『類聚三代格』巻第十八。黒板勝美・編『類聚三代格(後編)・弘仁格抄』551-552頁。〕。白河団の兵士は、行方団・安積団とともに3軍団で常時500人を多賀城の国府に駐屯させたようである。この時の定員は、標準的な各団1000人であろう。 後に陸奥国には磐城団が増設されて7団7000人となり、承和10年(843年)に1000人を増員して7軍団に割りふった〔『続日本後紀』承和10年4月19日条。〕。白河団の増員後の兵力は不明だが、引き続き多賀城の守備にあたった〔元慶年間(877年から884年)の太政官符に、鎮守府の守備にあたる軍毅が15人、国府守備にあたる軍毅が20人とある。前者を3軍団、後者を磐城団を加えた4軍団と按分すれば5人ずつで割り切れる。平川南『漆紙文書の研究』282頁。〕。 10世紀に編まれた延喜式にも陸奥国に7団を置くことが規定されており、軍団の構成は変わらなかったと考えられる〔橋本裕は、変更の可能性もあると見る(「律令軍団一覧」159-160頁)。〕。 11世紀前半に書かれた『左経記』長元7年(1035年)12月15日条に、「白河団擬矢八占部宿祢安信」という名が見える。軍団に関する記録として終わりに近いものである〔橋本裕「律令軍団一覧」160頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白河団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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