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白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日〔井上 (2012)、20頁。〕(1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)〔綱淵 (1990)、23頁。〕。 == 生涯 == === 出生と陸軍入隊 === 文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身〔。浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれた〔。南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代の彼は非常にわんぱくで、「狐の尻尾を折る」「狼退治」「千石船を素潜りで潜ろうとして死にかける」「150人と血闘」などを行ったと列挙している〔〔綱淵 (1990)、23頁。〕。 8歳(数え年だと9歳〔)の頃に、平田篤胤の高弟ともいわれる医師で蘭学者(漢学者とも)の佐々木節斎の寺子屋に入る〔井上 (2012)、26頁。〕。佐々木は寺子屋で読み書きソロバンや四書五経を教え、その他にもコロンブスやマゼランの地理探検、そしてジョン・フランクリン隊の遭難(フランクリン遠征)などの話を聞かせた〔井上 (2012)、104-106頁。〕。白瀬は11歳の頃に佐々木より北極の話を聞き、探検家を志すようになる〔井上 (2012)、26頁。〕〔。 この時佐々木は、白瀬に対し5つの戒めを教えた。 #酒を飲まない #煙草を吸わない #茶を飲まない #湯を飲まない #寒中でも火にあたらない 白瀬は18歳頃から守るようになり、生涯この戒めを守り続けたとされる〔〔綱淵 (1990)、25頁。〕。 明治10年(1877年)、母の実家である山形県山形市七日町にある小学校に入学し、明治12年(1879年)3月に卒業する〔井上 (2012)、27頁。〕。同年7月に僧侶となるため上京するが、2ヵ月後に軍人を目指し日比谷の陸軍教導団騎兵科に入校。同時に幼名の知教という名を矗に改名した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白瀬矗」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shirase Nobu 」があります。 スポンサード リンク
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