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白田山秀敏 : ミニ英和和英辞書
白田山秀敏[しらたやま ひでとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

白田山秀敏 : ウィキペディア日本語版
白田山秀敏[しらたやま ひでとし]
白田山 秀敏(しらたやま ひでとし、1943年12月15日 - )は、1970年代前半に活躍した熊本県八代郡鏡町(※現役当時、現・同県八代市)出身の大相撲力士である。高砂部屋に所属していた。本名は白田 秀敏(しらた ひでとし)。現役時代の体格は183cm、108kg。最高位は東前頭4枚目(1971年5月場所)。得意手は左四つ、出し投げ、外掛け
現役引退後は、年寄・谷川として後進の指導に努め、停年(定年)まで日本相撲協会に在籍した。
== 来歴・人物 ==
地元・鏡町の中学校を卒業後、進学した八代第一高校(現・秀岳館高校)を僅か3ヵ月で中退して上京し、高砂部屋に入門。1959年7月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。
その後、1968年1月場所で十両に昇進。軽量のため十両で苦労し、新十両から3年以上かかって、1971年3月場所で漸く入幕を果たした。
本来は左四つだが、軽量の体格を生かした土俵上を動き回る相撲や素早い左右への変化が得意だった。しかし幕内上位ではその取り口はなかなか通じず、三役には昇進することができなかった。
1975年7月場所を最後に幕内から遠ざかり、以降はずっと十両で取り続けた。1976年には、暴力団組長と懇談中口論に発展した末に組員が天井に発砲した件で同席していた陸奥嵐と共に、3ヵ月間の減給1割などの処分を受けている。〔『朝日新聞』、2010年5月27日付〕
西十両11枚目の地位で大敗した1977年5月場所を以って、33歳で現役を引退序ノ口に付いてから引退するまでの17年8ヵ月間で、「1202番連続出場」を記録した。これは序ノ口以来、番付上の最終場所の千秋楽まで無休という連続出場では、当時大相撲史上1位の記録であった(2014年11月現在の記録は、豊ノ海真二(最高位・前頭筆頭)の1316番連続出場)。
引退後は、年寄谷川を襲名。暫くは高砂部屋付きの親方として後輩達を指導していたが、先代の谷川親方(元十両・八幡野)に倣って谷川部屋を興すことを師匠(元横綱・朝潮)に反対されたため、同じ高砂一門である九重部屋に移った。同部屋への移籍は、現役時代から九重親方(元横綱・北の富士)と「手の合う」(=仲の良い)仲だったことが影響している。
九重部屋では、千代の富士保志(後の横綱・北勝海)ら、数多くの力士達の指導に努めた。
その後、1993年10月より九重の弟子・北勝海が引退後に興した八角部屋へ移り、2008年12月14日付で停年退職するまで在籍した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白田山秀敏」の詳細全文を読む




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