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白石元治郎 (しらいし もとじろう、1867年8月20日(慶応3年7月21日) - 1945年(昭和20年)12月24日)は実業家。日本鋼管の初代社長。浅野総一郎の娘婿にあたる。 白河に生まれた〔以下、特記ない限りは銅像()の説明文より。〕。1892年に帝国大学法科大学〔この当時、帝国大学は現在の東京大学の1校だけで、名称が「東京帝国大学」となったのは京都帝国大学が設立された1897年である(デジタル大辞泉) 。また現在の「×学部」に当たるものは1886年から1918年まで「×科大学」を名乗っていた(東京大学大学院法学政治学研究科・法学部年譜) 。〕を卒業すると浅野商店に入社し、東洋汽船の経営に参画するようになり、13,000トン級という当時は不可能と思われていた規模の船舶建造にも成功した。その後、全て輸入に頼っていた民需用鋼管を国産化することを模索していた帝大時代の学友で八幡製鉄所出身の技術者〔今泉嘉一郎に協力し、1912年日本鋼管株式会社を設立した。この頃、浅野総一郎の娘と結婚した〔。工場の建設は翌年のことで、場所は現在地と同じ川崎の現南渡田であった。資本金は200万円、最初の事務所は木造90坪ほどであった〔記念碑()より。〕。ちなみに日本鋼管は日本初の民間製鉄会社とのこと。1931年開業の、武蔵白石駅は白石元治郎にちなんで名づけられた〔。1945年12月に病を得、同24日死去した。享年79。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白石元治郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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