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白竜山 憲史(はくりゅうやま のりふみ、本名:奥村 素久(おくむら もとひさ)、1954年7月10日- )は、兵庫県姫路市出身で、1970年代末から1980年代初めにかけて活躍した大相撲力士。時津風部屋に所属していた。最高位は東前頭13枚目(1981年9月場所、1982年1月場所)。現役時代の体格は178cm、119kg。得意手は突き、押し。 == 来歴・人物 == 実家は旅館で柔道6段の父(地元で接骨院の院長も務めていた)に鍛えられ、自身も中学在学時には、柔道初段まで昇った。 しかし、近所に住む元大相撲力士(十両まで昇進したという)に角界入りを勧められ、中学卒業を待たずに彼の古巣である時津風部屋の門を叩いた。 初土俵を踏んだのは1969年9月場所での事で、同期の初土俵組には、後の関脇・金城(栃光)などがいる。 翌11月場所、本名でもある「奥村」の四股名で序ノ口に付き、三段目時代の1972年11月より「白竜山」へと改名した。白竜山の四股名は、母親が近くの神社で姓名判断をしてもらって名付けたという。 その後幕下9枚目に在位した1977年5月場所中、網膜剥離に罹って途中休場し(目の手術のため)翌場所は初日より休場、9月場所では再び三段目に下がった。 だが目の具合が良くなると1978年7月場所では幕下上位に復帰し、1979年3月、24歳で十両に昇進。なお、1980年1月場所では同志社大学から鳴り物入りで佐渡ヶ嶽部屋に入門した当時の超大物である幕下・琴藤沢に勝利して琴藤沢の十両昇進を阻止し、最終的に琴藤沢は関取になれぬまま廃業してしまった。 その後、1981年9月場所で入幕。初土俵から、丸12年かけての新入幕であった。 突き押し相撲は巧かったが、軽量というハンディキャップのため、幕内では中々自分の相撲を取らせてもらえなかった。計3度幕内に昇進したがいずれも勝ち越しは成らず、1982年5月場所6日目、高見山との一番で右足首などを痛め途中休場してからは徐々に番付を下げていった。 現役晩年は三段目16枚目まで陥落し、1983年9月場所後、29歳で廃業。 その後は郷里・姫路市に戻り、家業に従事する傍ら、相撲料理店「ちゃんこ 白竜山(※注)」を経営した。 ※注…「~白竜山」は、当地の土地区画整理事業に伴い、2014年5月を以って閉店している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白竜山憲史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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