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白線流し(はくせんながし)は、毎年、卒業式の日に卒業生たちが学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結びつけ川に流す行事。例年3月1日に、岐阜県高山市にある岐阜県立斐太高等学校で、学校前を流れる大八賀川において行われ、70年以上行われている。 本記事では、この行事を元にしたテレビドラマについても述べる。 == 歴史 == 大正時代、岐阜県高山市の旧制斐太(ひだ)中学校で、授業をボイコットして退学処分になった退学生たちが、学校を去るとき学帽を川に投げ捨てたのが変化し、1930年代後半、卒業式のあとに卒業生が学帽の白線を川に流したのが始まり。当初は一部の卒業生が三々五々、個々に白線を流していたが、やがて友人どうし白線を結んで流すようになった。戦後、生徒会主催の『白線流し』の行事となり、斐太高校で続いている。 旧制中学時代は男子生徒だけだったので、学生帽の白線を流したが、新制高校になり男女共学になって以後、セーラー服のスカーフが加わった。川を挟んで、校舎側に並んだ在校生が『送別歌』を歌い、対岸に並んだ卒業生が『巴城ヶ丘(はじょうがおか)別離の歌』を歌いながら、一本につないだ白線と白スカーフを流す。以前は、流した白線は下流で回収して乾かし、ボランティア団体に譲渡していたが、近年それはなくなり、乾燥させた上処分される。 『白線流し』の時に歌われる『送別歌』と『巴城ヶ丘別離の歌』は、ともに斐太高校のオリジナルソングである。『送別歌』は1960年に作られたものだが、『巴城ヶ丘別離の歌』は、太平洋戦争末期、戦地に赴く学友への惜別歌として旧制斐太中学の生徒によって作られたもので、白線流しの時に真意を伏せて歌われ、以後、白線流しの歌として、今も歌い継がれている。なお、新制高校になってからは、前口上と歌詞中の「斐中」が「斐高」に、「四年」が「三年」に、「四星霜」が「三星霜」に修正されて歌われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白線流し」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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