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#公孫竜(こうそんりゅう、生没年不詳)は中国戦国時代の思想家。字は子秉(しへい)。後述する。 #公孫竜(こうそんりゅう、紀元前498年 - ?)は孔子の弟子の一人。字は子石。 ---- 公孫竜は、古代中国の哲学者・論理学者・政治家。趙の人であり、生没年ははっきりしないが、おおよそ紀元前320年から紀元前250年の間に活躍した。 名家(弁者、察者)の代表的人物で、「白馬非馬説」が有名である。 == 政治家として == 紀元前260年、長平の戦いで趙は秦に決定的な敗北を喫し、首都・邯鄲を包囲されるという危機に陥った。しかし、宰相の平原君が、楚の春申君や魏の信陵君に救援を求めて同意を得ることに成功し、ついに紀元前258年、合従軍によって秦は撤退した。 『史記』「平原君・虞卿列伝」によれば、その後、趙の学者・政治家の虞卿は、平原君が信陵君を趙に招いて邯鄲を救ったことを理由として、平原君の領地を加増するよう王に進言しましょうと申し出た。その夜中、公孫竜は平原君の屋敷に車で駆けつけ、虞卿の意見に対し異議を唱えた。「わが君がこれまで、宰相になることができましたのも、領地を得ることができましたのも、趙でもっとも才能や功績がある人物だからというわけではありません。ただ、王の親戚だからというまでです。そのうえで(下々の者と同様に)才能や功績を理由に領地を受け取っては、かえって不利になりましょう。しかも、仮に成功したとしても、虞卿めはこれを恩に着せる魂胆でしょう」 平原君はこの意見を取り入れ、虞卿の申し出を断った。〔『史記』平原君虞卿列傳 虞卿欲以信陵君之存邯鄲為平原君請封。公孫龍聞之,夜駕見平原君曰:「龍聞虞卿欲以信陵君之存邯鄲為君請封,有之乎?」平原君曰:「然。」龍曰:「此甚不可。且王舉君而相趙者,非以君之智能為趙國無有也。割東武城而封君者,非以君為有功也,而以國人無勳,乃以君為親戚故也。君受相印不辭無能,割地不言無功者,亦自以為親戚故也。今信陵君存邯鄲而請封,是親戚受城而國人計功也。此甚不可。且虞卿操其兩權,事成,操右券以責;事不成,以虛名德君。君必勿聽也。」平原君遂不聽虞卿。〕 その後も公孫竜は平原君に厚遇されるが、陰陽家の鄒衍が趙に来て「至道」の説を唱えてからは、退けられるようになった〔『史記』平原君虞卿列傳 平原君厚待公孫龍。公孫龍善為堅白之辯,及鄒衍過趙言至道,乃絀公孫龍。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公孫竜」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gongsun Long 」があります。 スポンサード リンク
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