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白鳥越え(しらとりごえ)は、京(京都)の一乗寺から、近江の 穴太に至る道。古路越(ふるみちごえ)とも呼ばれる。この名は、今路越(いまみちごえ 山中越・志賀越道)が開かれる以前から利用されていたことに由来する〔山州名跡志に「近江国穴太に出る道を白鳥越または古路越いい、近江国坂本へ出る道を今路越といふ」と記されている〕。その他にも名古地越(拾遺都名所図会)や青山越え(近江輿地志略)とも呼ばれる。 雍州府志では、「(白鳥越は、)一乗寺村より叡山東坂本に出ずる坂路なり」、拾遺都名所図会では、「同所(狸谷不動院)の東にあり、上古の往還道にして、是より叡山東坂本穴太村へ出る」と紹介されている。 ==経路== 白鳥越えは、戦国時代以降次第に利用されなくなったため、正確な経路は未だ比定されていない。古地図の表記、地形、城址の位置等から推定すると、初期のルートは、瓜生山、白鳥山、てんこ山、一本杉、青山、壷笠山を通過する尾根道〔強力な政権の存在しなかった中世の山道であることから、維持管理に費用がかからない尾根道であった可能性が高い。〕であったと考えられる。〔竹内康之『比叡山1000年の道を歩く』(ナカニシヤ出版)、『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』(平凡社)〕もっとも、近世になると無動寺への参詣道(無動寺道)と結びついてルートに変更がみられる。例えば、山州名跡志では、「雲母坂より、延暦寺東塔を経て、近江国穴太に出る道を白鳥越」としており、また慶応四年懐宝京都細絵図では、四明嶽の南、無動寺の北に白鳥越が記載されている。これらは想定される初期のルートとは異なるものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白鳥越え」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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