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白鵠 : ミニ英和和英辞書
白鵠[はくこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 

白鵠 : ウィキペディア日本語版
白鵠[はくこく]
白鵠(はくこく)とは、中国後漢末期に活躍したの名前。曹洪の乗馬。葦毛馬であった。
三国志』にはその名は登場しないが、王嘉が書いた『拾遺記』、『太平御覧』などに記されている。
『拾遺記』には、「疾走すると風の音が耳に鳴るばかり、足が地面を踏まないかのような名馬」であったとされる。
初平元年(190年)の董卓討伐戦の時、曹操徐栄に大敗し敵軍に追撃された。この時、曹洪は白鵠に乗っており、馬を失った曹操に馬を譲ろうとした。曹操は最初は辞退したが、曹洪は「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず」と直言して曹操に馬をゆずり、自分は徒歩で曹操に付き従い、闇に紛れて逃げ延びた。

川合康三氏は「曹洪はこの他にもたくさんの駿馬を抱えており、曹洪の家の産業がいかに盛んであったが伺える」と『曹操 -矛を横たえて詩を賦す-』にて述べている。

小説『三国志演義』には曹洪が自ら背負って渡川するため登場しない。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白鵠」の詳細全文を読む




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