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白龍山慶祐 : ミニ英和和英辞書
白龍山慶祐[はくりゅうやま よしひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

白龍山慶祐 : ウィキペディア日本語版
白龍山慶祐[はくりゅうやま よしひろ]
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、本名:金子 寅男(かねこ とらお)、1926年3月10日-1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で、1940年代後半から1950年代にかけて活躍した大相撲力士荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属していた。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、内無双、寄り。
== 来歴・人物 ==
14歳の時に上京し、同郷の元関脇清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。
「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
だが、怪我もあって1年も経たない内に幕下へ逆戻りし、暫くはこの地位に居座ってしまった。
そこで験直しも兼ねて、1949年10月場所より「白龍山」と改名。これが奏功したのか、翌年9月場所では十両復帰が叶い、更に1951年5月場所では入幕の宿願も果たした。 
右四つからの内無双や寄りを得意としたが、取り口は地味で、勝ち味も遅かったため幕内上位には進めなかった。美男力士として知られた。
1958年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以後は長く十両に在ったが、東十両尻(18枚目)まで陥落して途中休場した1960年1月場所を以って廃業
廃業後は愛知県豊田市に移住し、同地で相撲料理の店を営んだという。
1968年8月25日、逝去。42歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白龍山慶祐」の詳細全文を読む




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