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百々遺跡 : ミニ英和和英辞書
百々遺跡[どうどう いせき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひゃく]
  1. (num) 100 2. hundred 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
遺跡 : [いせき]
 【名詞】 1. historic ruins (remains, relics) 
: [せき, あと]
 【名詞】 1. (1) trace 2. tracks 3. mark 4. sign 5. (2) remains 6. ruins 7. (3) scar 

百々遺跡 : ウィキペディア日本語版
百々遺跡[どうどう いせき]
百々 遺跡(どうどう いせき)は、山梨県南アルプス市(旧中巨摩郡白根町百々)にある遺跡平安時代を中心とする集落遺跡。
県内でも類例の少ない大規模な平安集落で、250軒以上の住居跡のほか、「甲斐」墨書土器奈良三彩、遺跡全体で100体分を越えるウマ・ウシ骨が出土し、4体のウマ骨が土坑内に同時埋葬された遺構も見られる。ほか、八稜鏡皇朝十二銭神功開宝」や帯飾り、銅製鍋被り葬遺構など多様な遺構・遺物が発見されており、中央政府と関係していた可能性を持つ西郡地域の中心的集落であると考えられている。
== 立地と地理的・歴史的環境 ==
県中部、甲府盆地西部の西郡地域と呼ばれる釜無川以西地域に位置する。標高は335-340メートル付近。東部には釜無川が南流、北部には釜無支流の御勅使川が東流し、百々遺跡は御勅使川によって形成された広大な扇状地の扇央部に立地している。釜無・御勅使両河川は古来から盛んに川筋を変え、西郡地域に洪水被害を及ぼした河川で流域には幾筋もの古流路が分布しているが、北部には前御勅使川の、南部には御勅使川南流路など廃河川の川筋が位置している。
西郡地域は御勅使川の氾濫原であるため安定的な定住が困難であるため考古遺跡は希薄で遺跡の多くは流出していると考えられており、1972年(昭和47年)に旧白根町教育委員会による分布調査が実施されている程度であったが、90年代後半には甲西バイパス中部横断自動車道など西郡地域における開発に伴い相次いで発掘調査が行われ、西郡地域に平安・中世の集落遺跡が分布していることが明らかにされている。
律令制下では巨麻郡(巨摩郡)にあたるが、比定郷は不明。隣接する旧八田村域とともに、『和名類聚抄』に見られる等々力(とどろき)郷(「等々力」は山梨郡にあたる旧勝沼町等々力に比定しこれを巨摩郡の飛び地とする説が有力であるが、「等々力」が川筋に由来する地名であることから、「百々」の地名を遺称とし等々力郷に比定する説がある)や『続日本紀』承和2年(835年)条に見られる葛原親王に与えられた「巨麻郡馬相野空閑地五百町」に相当する地域であると考えられている。また、遺跡から南西に位置する旧櫛形町高尾の穂見神社の御正体銘には「甲斐国八田御牧北鷹尾」と記されており、一体は中世に成立する八田牧(八田御牧、八田荘)に相当する地域であると考えられている。
百々遺跡の範囲は南北840メートルにわたるが、東西は土砂が堆積し遺跡分布の把握が不十分であるため、正確な規模は不明。
周辺には縄文・弥生に遡る遺跡も見られるが、主に奈良・平安時代から中世の集落遺跡が濃密に分布している。百々遺跡の東部には舞台遺跡、榎原・天神遺跡、榎原・石丸遺跡、坂ノ上姥神遺跡など百々遺跡と同時期の遺跡が見られ、これらは一帯の集落である可能性も指摘されている。
旧八田村域にあたる御勅使川前流路を挟んで百々遺跡から北部は御勅使川現流路と挟まれた野牛島一帯に大塚遺跡、石橋北屋敷遺跡、立石下遺跡など同じく平安・中世の野牛島遺跡群が分布している。
また、涌水点にあたる榎原の長谷寺は天平年間の開創伝承を持つ寺院で、十一面観音像が安置される。古くから原七郷の守護として信仰を集め雨乞いも行われていたといわれ、周辺(長谷寺遺跡)からは平安時代の遺物も出土している。
こういった野牛島・百々地域における遺跡の分布状況から、野牛島一帯で集落が収束する9世紀前半以降に御勅使川前流路を越えて百々地域へ集落が移転し、八田牧が成立する12世紀に両地域で広く開発が進み、等しく開発が行われた変遷過程が想定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「百々遺跡」の詳細全文を読む




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