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百万塔(ひゃくまんとう)とは、奈良時代後期に称徳天皇の発願によって製作された100万個の轆轤挽き木製三重小塔。塔身と相輪の2つから構成されており、塔身内部には陀羅尼を納める構造となっている。 標準的なものは総高21.4cm、基底部径10.5cm、塔身のみの高さ13.4cmである。塔身は檜、相輪は榊、栴檀もしくは桜系の木が用いられ、それぞれ1本の木から各部分が作られている。 塔身は基壇と3層に挽き、軸部上端が筒状に抉られてそこに陀羅尼が納められる。相輪は露盤・伏鉢・宝輪・宝珠に挽き、全体が白土によって厚く塗られている。相輪は塔身の上から蓋のようにはめ込まれている。基底部の裏面、屋蓋の上部、相輪の基底部に製造年月日や製造者の氏名が墨書されたものがある。 また、百万塔とは別に1万基ごとに「一万節塔」と呼ばれる七重小塔、10万基ごとに「十万節塔」と呼ばれる十三重小塔も作られた。 天平宝字8年(764年)の恵美押勝の乱を受けて、称徳天皇が『無垢浄光大陀羅経』の所説に従って神護景雲年間を中心とした時期に製作された。『続日本紀』宝亀元年4月26日(770年5月25日)条に完成した百万塔を諸寺に置いたことが記されている。この諸寺とは、大安寺・元興寺・興福寺・薬師寺・東大寺・西大寺・法隆寺・弘福寺・四天王寺・崇福寺の10の官寺に置かれた。このうち、元興寺・東大寺・西大寺には「小塔院」と呼ばれる百万塔などを納める専門施設も設置されたが、現在残されているのは、法隆寺大法蔵殿に保管されている塔身45,755基分・相輪26,054基分が最も多く、各地の博物館、個人などに保有されている少数の百万塔も、もと法隆寺にあったものだと推定されている。この他に平城宮の跡地から製造中に未完成のまま遺棄された物が出土された例がある。 奈良時代の鎮護国家思想に支えられた政府の仏教政策への関心の高さと高度な木工技術と生産体制を今日まで伝えている。 == 参考文献 == *高田良信「百万塔」(『国史大辞典 11』(吉川弘文館、1990年) ISBN 978-4-642-00511-1)) *森郁夫「百万塔」(『日本史大事典 5』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13105-5) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百万塔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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