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百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年2月20日 - 2008年1月27日)は、作家、詩人、格闘技プロデューサー。日本スノードーム協会事務局長〔『百瀬博教の柳橋キッド』第8回 浅草キッド公式サイト 2003年5月19日放送〕。血液型AB型。総合格闘技イベントPRIDEとの関わりから、「PRIDEの怪人」の異名を持っていた〔“PRIDEの怪人”百瀬博教氏が死去 デイリースポーツ〕。 == 来歴 == 東京市浅草区(現台東区)柳橋出身。侠客の百瀬梅太郎の次男として出生。学生時代は相撲取りを目指し、私立市川高等学校では相撲部を創設して、関東大会2位、国民体育大会に出場した。立教大学文学部史学科在籍中も相撲部に所属し、同大学の相撲部は、百瀬と交流のある周防正行が1992年に監督した映画『シコふんじゃった。』のモデルになっているという〔『百瀬博教の柳橋キッド』第6回 浅草キッド公式サイト 2003年5月5日放送〕。 大学時代は1960年から赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒を勤めた。そこで俳優の石原裕次郎と知り合うことになり〔「墓碑銘」『週刊新潮』2008年2月14日号、新潮社〕「弟分」を名乗ることとなる。用心棒として23歳のときから拳銃の密輸を始め、28歳のときに拳銃不法所持により警視庁へ出頭。その後、裁判前に秋田県に逃亡したが結局逮捕され、6年間の刑務所生活を送り、その間に読書生活を送った〔楽天ブックス「百瀬博教forever young at heart」 BOOKデータベースより〕〔浅草キッド「男のホモっ気・百瀬博教」『お笑い男の星座2 私情最強編』文藝春秋社、2003年〕〔浅草キッド「VS百瀬博教」『濃厚民族』スコラマガジン、2003年、p174-p176〕。 34歳で出所し、処女詩集『絹半纏』を出版〔楽天ブックス 絹半纏 BOOKSデータベースより〕、1988年に『新潮』誌上で文芸評論家の山本健吉に認められる〔〔「PRIDE」プロデューサー百瀬博教さん死去 力道山や石原裕次郎と親交深く 夕刊フジ 2008年1月28日。〕〔百瀬博教、サイデンステッカー共著『私の東京』の巻末に山本健吉『詩人としての百瀬博教』所収。〕。バブル経済の最中、債権の回収を行なったり、株式運用を行なったが、バブル崩壊により無一文になった。並行して作家の曽野綾子の進言により『新潮45』で1989年から『不良日記』を連載〔。1992年から『週刊文春』で『不良ノート』の連載を開始、その他『週刊宝石』で『百瀬博教交遊録』を連載し、エッセイを執筆するなど作家として本格的に活動を始めた。日本文化研究家のエドワード・G・サイデンステッカーとは1989年に共著を出版。テレビ番組制作プロダクションのイーストの富永正人社長と親交を持ち、イースト制作の番組に出演した他、イーストライツが出版する雑誌『Free&Easy』に連載を持った〔百瀬博教のミッドナイトシュークリーム 第五十回会合 富永正人 百瀬博教公式サイト 2000年〕。 格闘技愛好家としても知られる。プロレスラー・アントニオ猪木と親交を持ち、総合格闘技イベントPRIDEには1999年から関わりを持っていた。メディア登場時には「FOREVER YOUNG AT HEART」(心は永遠の若者)とプリントされた黒い野球帽を常に被っている事でも知られていた。大手ネット掲示板2ちゃんねるでの通称は「ピーチ」。「百瀬」の読み、「ももせ」を「桃」としてその英語読みから取られたもので、猪木はそのニックネームを知ると「ピーちゃん」と気に入っていた〔百瀬博教『プライドの怪人』幻冬舎、2001年、p295。〕。 2008年1月27日午前2時40分ごろ、自宅を訪れた知人が風呂場の湯船の中で意識を失っている百瀬を発見。救急搬送されたが、同日午後3時半ごろ、死亡が確認された。 死の3年ほど前から体調を悪化させていたという〔高須基仁 国士無双スペシャル プライドの怪人・百瀬博教氏死す リアルライブ 2008年1月28日〕。映画『タバコ・ロード』について書いた文章が絶筆となった〔安西水丸「安西水丸の4コマ映画館171」『キネマ旬報』2008年4月上旬号。〕。2月20日に青山葬儀所でしのぶ会「不良ノート」が開かれ、アントニオ猪木、ビートたけし、周防正行、EXILEのHIROら約700人が参列した〔猪木ら700人が百瀬さんに別れ スポーツニッポン 2008年2月21日付け〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「百瀬博教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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