|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 的 : [まと, てき] 【名詞】 1. mark 2. target ・ 場 : [ば] 【名詞】 1. place 2. field (physics)
的場 均(まとば ひとし、1957年3月25日〔 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手で、現在は調教師。 1975年に騎手デビュー。若手のころより頭角を現し、関東所属の上位騎手として定着。1989年の皐月賞制覇を皮切りに、1990年代に入り数々のGI競走を制する。特にGI競走3勝のライスシャワー、同4勝のグラスワンダーとは名コンビを謳われた〔『優駿』2001年4月号、pp.4-5〕〔『優駿』2014年9月号、pp.42-45〕。また、なんらかの記録が懸かった馬を破る例が多かったことから「ヒットマン」などとも称された。2001年2月に引退。騎手通算成績は12387戦1454勝(うちJRA12309戦1440勝)、GI競走13勝を含む重賞68勝(同前63勝)。調教師として、2002年より美浦トレーニングセンターに厩舎開業。 JRA騎手の的場勇人は息子〔。JRA騎手、調教師の柄崎義信は舅〔的場(2001)p.90〕、柄崎孝は義兄〔。 == 来歴 == === 騎手デビューまで === 1957年、北海道新冠郡新冠町の農家に、10人兄弟の末子として生まれる〔的場(2001)pp.9-23〕。実家は米作を家業として農耕馬を飼養し、また、かたわらで競走馬の生産も手がけており、馬はごく身近な存在であった〔。1961年〔『優駿』2007年12月号、pp.137-140〕、父親に連れられて札幌競馬場を訪れ、はじめて競馬の様子を目の当たりにする。そこで騎手たちの姿に憧れを抱き、このときよりおぼろげながら将来に騎手を志した〔。小学生になってからは厩舎作業の手伝いもこなすようになり、また、家で飼う農耕馬にまたがり、独学で乗馬技術を覚えていった〔。 中学3年次の秋に中央競馬の騎手養成長期課程を受験したが、不合格となる〔的場(2001)pp.24-36〕。しかし受験の手続きを買って出た人物から、中央競馬の厩舎で作業をこなしながら騎手を目指す「短期講習生」という道があることを知らされ、後に知人の伝手を頼って中山競馬場所属の調教師・大久保房松を紹介された〔。大久保は75歳と高齢で「もう弟子はとらない」と一度は断られたが、実家での直接面談を経て入門が決まり、1972年4月に上京〔。大久保厩舎の一員となった。厩舎の兄弟子には当時のトップジョッキーであり、後に騎手顕彰者として殿堂入りを果たす郷原洋行がいた〔。 大久保は昔ながらの「技術は見て盗むもの」という信条をもち、的場が彼から具体的な技術を教わることはなかったが、しかしごく未熟なうちから調教騎乗の機会を積極的に与えられ、そこで何らかのミスがあっても叱られることはほとんどなかった〔的場(2001)pp.58-68〕。一方で郷原からはしばしば叱られつつも騎乗技術の要点を具体的に教わり、的場は本人の言う「絶妙なバランス」の中で育成されていった〔。的場が郷原から叩き込まれた最も大切な技術は「馬との約束事をいかに作るか」という部分であったという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「的場均」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|