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皆川治広 : ミニ英和和英辞書
皆川治広[みながわ はるひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みんな]
  1. (adv,n) all 2. everyone 3. everybody 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

皆川治広 : ウィキペディア日本語版
皆川治広[みながわ はるひろ]

皆川 治広(みながわ はるひろ、1875年明治8年)3月7日〔『伊予の事業と人物』人事編 p.205〕 - 1958年昭和33年)3月7日〔「シリーズ・関西学院の人びと8.皆川治広」〕)は、司法官僚検事判事
== 経歴 ==
愛媛県松山市出身。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として大阪地方裁判所に勤務した〔『一九二四年に於ける大日本人物史』み之部 p.25〕。翌年、日露戦争が勃発すると第四軍司令部附国際法顧問として従軍した〔。
1906年(明治39年)、大阪地方裁判所予備検事となり、小倉区裁判所検事、東京地方裁判所検事を歴任した〔。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催された万国刑法会議に出席した後、フランスドイツスイスに留学した〔。1913年大正2年)に帰国後、司法書記官大臣官房職員課長に任命され、法律取調委員会幹事も務めた。1921年(大正10年)には大審院検事となり、翌年に司法省人事局長に就任した〔。1923年(大正12年)に広島控訴院検事長となり〔『人事興信録』〕、1927年(昭和2年)に名古屋控訴院検事長に転じた〔。
1931年(昭和6年)には司法次官に就任した〔。司法次官在任中に千葉県小金町(現在の松戸市)に思想犯の転向を目的とした大孝塾という私塾を開いている〔『思想問題に就いて』〕。1934年(昭和9年)、岡田内閣成立とともに司法次官から判事に転じ、東京控訴院長に就任した。1937年(昭和12年)、退官〔。その後は東京市教育局長を務めた。
戦後は公職追放され、弁護士として活動した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「皆川治広」の詳細全文を読む




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