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菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/うぢのわきいらつこ、生年不詳 - 壬申年〔壬申年は応神天皇41年(崩御時)の2年後で、仁徳天皇元年(即位時)の前年にあたる(いずれも『日本書紀』による)。〕)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。 第15代応神天皇皇子(『日本書紀』では皇太子)で、第16代仁徳天皇は異母兄にあたる。 == 概要 == 菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国宇治(現・京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。 郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。 『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菟道稚郎子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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