|
皇甫徽(こうほ き、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の人物。字は子玄。本貫は安定郡朝那県。 == 経歴 == 南朝斉の秦梁二州刺史の皇甫澄の子として生まれた。梁に仕えて諸王の参軍を経て、安定郡太守・略陽郡太守となった。北魏の正始2年(505年)、妻の父(妻の叔父とも)の夏侯道遷に従って北魏に帰順した。夏侯道遷は勲功を上書して、皇甫徽を元謀としようとしたが、皇甫徽は「はかりごとに関与していないのに、賞与を貪っては内心に恥じることとなります」と言って断った。梁州刺史の羊祉にそのまじめさを買われて、征虜府司馬に推挙された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「皇甫徽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|