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益子重綱 : ミニ英和和英辞書
益子重綱[ましこ しげつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

益子重綱 : ウィキペディア日本語版
益子重綱[ましこ しげつな]
益子 重綱(ましこ しげつな、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将宇都宮氏の家臣。下野国芳賀郡富谷城主。本姓紀氏受領名は宮内大輔。父は益子安宗、兄に益子家宗か。正式な名乗りは紀重綱(きのしげつな)。
益子氏は家宗の代に本城である西明寺城を宇都宮方の芳賀・塩谷勢に攻められ敗北し、600町の益子領を召し上げとなっていた。そのため、益子氏の残党は富谷城において重綱を後継者に擁立し、結城晴朝の支援を受けて抵抗を続けていた。
天正11年(1583年)、重綱は結城氏の援軍を得て仇敵である笠間幹綱を攻め、笠間方の谷中玄蕃允を討ち取る戦果を挙げた。配下の将を失った笠間氏は益子氏に対して弔い合戦を企て、谷中玄蕃允の一周忌を期して、玄蕃允の嫡男谷中孫八郎をして先鋒大将として、家老の江戸美濃守を後楯とした益子討伐の兵を挙げた。笠間軍は、益子方の要害である富谷城を一気に乗っ取る計略を立て、兵を城近くまで進めた。一方、富谷城からも益子方の500~600人の兵が出動し、笠間勢と激突するに至ったが、笠間方の急襲により浮き足立った益子勢は散々に打ち破られ、戦いは笠間氏の大勝利に終わった。「益子系図」によれば、この合戦で重綱が捕らえられたとも記されている。
結城晴朝はこれを受けて笠間氏を攻撃するものの、益子氏はこのときを以って滅亡し、重綱は結城氏を頼って下総国常陸国方面に落ち伸びたという。
== 関連項目 ==

* 紀氏
* 益子氏
しけつな


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「益子重綱」の詳細全文を読む




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