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益富城跡 : ミニ英和和英辞書
益富城跡[ますとみじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
城跡 : [しろあと, じょうせき]
 【名詞】 1. castle site 2. ruins of a castle
: [せき, あと]
 【名詞】 1. (1) trace 2. tracks 3. mark 4. sign 5. (2) remains 6. ruins 7. (3) scar 

益富城跡 ( リダイレクト:益富城 ) : ウィキペディア日本語版
益富城[ますとみじょう]

益富城(ますとみじょう)とは、福岡県嘉麻市中益にあった日本の城である。
== 歴史==
永享年代、九州征伐の際に大内盛見が築城したといわれている。その後は日田街道長崎街道を結ぶ町交通の要衝である大隈に築城された当城は争奪戦の的となり、永禄期(1560年頃)には毛利元就が領有し、城番に杉忠重を置いた。戦国時代末期には、古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。
安土桃山時代豊臣秀吉による九州の役天正14年(1586年)- 天正15年(1587年))で秋月氏が敗れた後は早川長政が城番となったが、早川氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため、領地を召し上げられた。その後は関ヶ原の戦いの功績により筑前国一国を与えられた黒田氏筑前六端城(ちくぜんろくはじろ)の一つとして位置づけ、家臣を居城させた。一時後藤基次が城主を務めたが、慶長11年(1606年)に基次が出奔した後、六端城の一つであった筑前国鷹取城より母里太兵衛が移されたが、 元和元年(1615年)に発布された一国一城令により、他の六端城とともに廃城とされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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