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益富城(ますとみじょう)とは、福岡県嘉麻市中益にあった日本の城である。 == 歴史== 永享年代、九州征伐の際に大内盛見が築城したといわれている。その後は日田街道と長崎街道を結ぶ町交通の要衝である大隈に築城された当城は争奪戦の的となり、永禄期(1560年頃)には毛利元就が領有し、城番に杉忠重を置いた。戦国時代末期には、古処山城を本拠とする秋月氏の支城の一つとなった。 安土桃山時代、豊臣秀吉による九州の役(天正14年(1586年)- 天正15年(1587年))で秋月氏が敗れた後は早川長政が城番となったが、早川氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため、領地を召し上げられた。その後は関ヶ原の戦いの功績により筑前国一国を与えられた黒田氏が筑前六端城(ちくぜんろくはじろ)の一つとして位置づけ、家臣を居城させた。一時後藤基次が城主を務めたが、慶長11年(1606年)に基次が出奔した後、六端城の一つであった筑前国鷹取城より母里太兵衛が移されたが、 元和元年(1615年)に発布された一国一城令により、他の六端城とともに廃城とされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「益富城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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