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益田就固 : ミニ英和和英辞書
益田就固[ますだ なりかた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

益田就固 : ウィキペディア日本語版
益田就固[ますだ なりかた]

益田 就固(ますだ なりかた、慶長8年(1603年) - 天和元年10月4日1682年11月3日))は、江戸時代初期の長州藩毛利家重臣。寄組問田益田氏の二代。
父は益田景祥。母は児玉元良の娘で、毛利秀就の生母清泰院(ニの丸殿)の妹。
==生涯==
慶長8年(1603年)、益田景祥の嫡男として生まれる。生母が児玉元良の娘であったため、藩主毛利秀就の外従兄弟にあたる。秀就から偏諱を与えられ、はじめ就利、のちに就固と名のる。父の景祥から家督を継ぎ、藩の要職に就いて藩政の枢機に関わった。将軍が徳川家光から家綱に代替りした時、毛利家の御判物を認めてもらうために堅田就政口羽元智とともに当時の老中松平信綱のもとに持参している。
正保元年(1644年)、自身の給領地である周防国吉敷郡問田に浄土宗「光勝院」(現在は光巌寺)を創建する。
天和元年(1682年)死去。享年80。家督は甥で養嗣子の就高が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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