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益田豊彦 : ミニ英和和英辞書
益田豊彦[ますだ とよひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

益田豊彦 : ウィキペディア日本語版
益田豊彦[ますだ とよひこ]
益田 豊彦(ますだ とよひこ、1900年5月22日 - 1974年7月11日)は、日本のジャーナリスト
==経歴==
福岡県立中学修猷館において30年に亘って漢文教諭を務めた益田祐之の三男として、福岡市柳原(現・中央区赤坂)に生まれる。実弟には横浜事件で不当に検挙された一人である世界経済調査会主事益田直彦がいる。1918年、福岡県立中学修猷館を卒業。同期には、後に朝日新聞で同僚となる笠信太郎と香月保、大阪府知事となる赤間文三がいる。1921年、旧制第五高等学校を卒業。同期には佐藤栄作がおり、共に東大法学部(佐藤は法律学科)に進んでいる。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、設立されたばかりの高松高等商業学校の教授となる。
1926年、三輪寿壮の勧めにより、労働農民党結成に参加し調査部長に就任。1928年に同党が解散すると、専らドイツ語文献の翻訳活動に打ち込み、1931年、ベルリンに留学し、1932年、朝日新聞ベルリン特派員に採用される。1934年に帰国後、正式に東京朝日新聞に入社する。
東京朝日新聞では、主筆緒方竹虎の推挙により、1934年、大西斎が常任幹事となって設立された、東アジア地域の研究・調査を行う東亜問題調査会に配属され、ここで同じく同会に配属になった尾崎秀実と出会う。1936年には笠信太郎が東京朝日新聞に論説委員として入社し、再会を果たしている。同年、近衛文麿のブレーンである政策研究団体「昭和研究会」に、大西、尾崎、笠と共に参加し、益田は外交問題研究会委員となった。その後、大阪本社経済部長、東京本社東亜部長を経て、1945年、朝日新聞が陸軍から経営を委託されて1942年に設立されたジャワ新聞の社長となり、終戦を迎える。
戦後は、1948年、東京本社論説委員室副主幹、1950年、西部本社編集局長、1952年、大阪本社編集局長、1954年、中部支社長となり、同年6月に取締役となる。その後、大阪本社代表取締役、東京本社代表取締役を歴任し、1965年に取締役を退任する。1967年からは国策パルプの取締役となり、1972年、同社が山陽パルプと合併して山陽国策パルプとなってからは顧問を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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