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盤石 力勝(ばんじゃく りきかつ、1834年〈天保5年〉〔1837年生まれという説もある。その場合は享年37になる。〕 - 1875年〈明治8年〉10月15日)は、木瀬部屋,錦戸部屋に所属した元力士。江戸時代最後の新入幕力士として有名である。 本名は古茶とのみ伝わっている(姓か名かは不明)。上総国市原郡(現在の千葉県市原市)〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3428&l=j〕出身。身長・体重は不明。 最高位は西前頭筆頭。 津藩のお抱え力士として〔参考 「津 磐石力勝」 着物姿 三河國の大相撲錦絵場所、2006年6月9日記事。〕、1857年11月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1863年7月場所で、西十両9枚目(十枚目格)に昇進。十両時代は5割程度の勝率だったこともあり、比較的ゆっくりと昇進を重ねていった。1867年6月場所で、新入幕を果たした(ちなみに前述の通り、江戸時代最後の新入幕力士となった〔明治時代最初の新入幕力士は、綾瀬川山左エ門(元大関),鬼ヶ崎綱之助(元西前頭2枚目。のち初代立浪)の2人である〈両者とも元号が改まった1868年(明治元年)11月場所に新入幕〉。〕)。その場所では6勝3敗1休の好成績を挙げ、幕内に定着した。幕内でも5割程度の勝率を保ち、1873年4月場所でも6勝2敗1休1分の好成績を挙げた。その後、1874年3月場所で西前頭筆頭に昇進するも、念願の三役を目の前にして体調を崩し、5割前後あった勝率が急降下。同年12月場所では初土俵以来初めて休場し、翌1875年4月場所では1勝5敗4休と不振に終わると、同年10月に八坂神社(京都市)で開催された「三都合併相撲(東京相撲・大坂相撲・京都相撲の合同試合)」に東京相撲の上段張出で出場していたが、期間中の10月15日に脳卒中の発作を起こし、そのまま急逝した〔二体の不動明王が立つ徳林寺(相撲記念館・史跡案内) 〕。42歳〔の若さだった。 幕内通算 15場所 53勝49敗14分1預33休の成績を残した〔。 改名歴は2回ある:錦帯→錦川→磐石 力勝。 美男としても知られ、女性のファンも多かった。また美男を活かして錦絵も多く描かれ、2代歌川国政によって描かれた着物姿の錦絵が現存している〔〔磐石力勝(前頭)-相撲錦絵の世界 〕。錦絵の中には、津藩のお抱え力士だった為に、大小の脇差を二本差しにしている物もあったが、廃刀令により刀を取り除き、着物の紋を版木ごとすげ替えて、同じ大相撲力士の小ノヶ崎仙吉の錦絵として描かれた物もある。 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盤石力勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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