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盧 信(ろ しん)は中華民国の政治家・ジャーナリスト・実業家。清末から革命派人士として活動し、後に北京政府で要人となる。字は信公。筆名は梭功。 == 事跡 == 1903年(光緒29年)、香港『中国日報』記者となり、あわせて興中会に加入した。1905年(光緒31年)9月、中国同盟会香港分会に加入している。同年冬、日本に留学し、東京で『大江日報』を創設して革命宣伝に努めた。 1907年(光緒33年)、孫文(孫中山)の推薦によりサンフランシスコへ向かい、同盟会の機関紙である『民生日報』主編となる。この後も、各種メディア媒体を主催・創設して、梁啓超ら保皇派と激しく論戦を繰り広げた。1911年(宣統3年)5月、香港『中国日報』社長に就任している。 辛亥革命以後、同盟会広東支部長、南京臨時政府参議員などに就任する。1913年(民国2年)、参議院議員となる。また、唐紹儀が創設した金星人寿保険公司の副主席にもなった。翌年冬、やはり唐が創設した水火保険公司で総経理となっている。1917年(民国6年)、孫文に随従して護法運動に参加し、大元帥府参議などをつとめた。 1922年(民国11年)8月から1か月間だけ、唐紹儀臨時内閣で署理農商総長となるが、実際に就任しなかった(代理は次長の江天鐸)。1926年(民国15年)3月、賈徳耀内閣で、馬君武の後任として司法総長に就任した。しかし、わずか1か月で辞任している。 1933年(民国22年)6月12日、死去。享年49(満47歳)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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