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盧武鉉[の むひょん]
盧 武鉉(ノ・ムヒョン、、1946年9月1日(旧暦8月6日)- 2009年5月23日)は、大韓民国の政治家、第16代目韓国大統領(2003年-2008年)。本貫は光州盧氏。カトリックの洗礼名を持っていて、洗礼名はユストだが、妻は仏教徒で遺骨も実家近くの仏教寺院に納められている。一部の進歩陣営では、盧武鉉を"ノチャン"と呼ぶ。妻の権良淑(クォン・ヤンスク)とのあいだに1男1女。歴代で初めての、日本統治時代を経験していない世代の大統領である。 == 生い立ち・弁護士として == 慶尚南道金海郡(現:金海市)進永邑(チニョンウプ)烽下(ポンハ)の貧しい農家に生まれる。母親は身ごもっている最中に胎夢を見たという〔http://www.chosunonline.com/article/20040507000062〕。6歳ですでに千字文を諳んじた神童であった〔http://www.chosunonline.com/article/20040507000062〕。小学校では生徒会長を務め、中学校では成績トップを争うほどだったが、貧困により1年の休学を余儀なくされている。苦しい家計を思い、一度は高校進学を諦めるが、兄の強い説得と助力で名門の釜山商高に進学した。当時商業学校からの花形コースであった銀行マンを志し、農協の就職試験を受けるも叶わず、卒業後に「三海工業」という小さな魚網会社に就職するが、その待遇に失望して一カ月半で退職。司法試験への挑戦を決意する〔『韓国の希望 盧武鉉の夢』、115-116頁及び134頁。盧武鉉が貧しさ故に高卒で社会に出たこと、就職に失敗して独学で弁護士の道を志すようになったことは、盧武鉉の政治家人生における一種の稀少価値となった。〕。当時、高卒では司法試験を受ける資格が与えられなかったが、村外れのぼろ家に手を加えて「磨玉堂」と名づけて勉強の場とし、日雇い労働をしながら1966年11月に資格試験(司法及び行政要員予備試験)に、1971年に三級公務員の一次試験に合格。兵役をはさんで勉強を続け、1975年司法試験に合格した。司法研修院で研修を終えた後、1977年大田地方法院(裁判所)判事に就任。1978年判事を辞めて弁護士事務所を開業。当初は不動産や租税関連の訴訟を専門とし、ヨットが趣味で琵琶湖でのイベントに参加するなど、釜山でも稼ぎのいいブルジョア弁護士として知られていた〔青柳純一『韓国現代史』社会評論社、158頁〕。 しかし1981年に別の弁護士の代理として釜林事件の弁護を引き受けた事が転機となり、徐々に政治・社会問題への関わりを深めていく。1982年の釜山アメリカ文化院放火事件では被告側弁護人を担当。1985年には釜山民主市民協議会の常任委員長となり、本格的に民主化運動に足を踏み入れた。1987年には大統領直接選挙制を求める6月抗争を主導し、大宇造船事件では逮捕と拘留も経験している。盧武鉉は後年、人権派弁護士への変身は覚悟や決意を要求されたものではないと語った。平凡な常識と良心、そして「拷問されて真っ黒になった学生の足の爪」を見ての憤りと怒りであったという〔『韓国の希望 盧武鉉の夢』、122頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧武鉉」の詳細全文を読む
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