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盧 金山(ろ きんざん)は清末民初の軍人。北洋系の軍人で、後に北京政府、直隷派に属した。字は貢庭。 == 事跡 == 最初は、新建陸軍徳文学堂に入学する。1902年(光緒28年)、日本に留学して、成城学校に入学した。1903年(光緒29年)、陸軍士官学校第3期歩兵科で学ぶ。 1904年(光緒30年)に卒業し、帰国して第2鎮歩隊第6標教練官に就任した。1906年(光緒32年)、駐京総司令部正参謀官に異動する。同年10月には陸軍少将銜となった。 1913年(民国2年)3月、拱衛軍参謀長に就任する。7月には陸軍第1軍参謀長に異動し、陸軍中将銜を授与された。1914年(民国3年)2月、湖北都督府参議に異動する。6月、湖北陸軍歩兵第5団団長となった。1915年(民国4年)、湖北陸軍第3旅旅長に昇進した。 袁世凱死後は直隷派に属し、1921年(民国10年)8月、第18師師長に昇進した。民国12年(1923年)3月、代理湖北荊州鎮守使に就任する(12月に正式に就任)。10月には、援川軍第4路副司令となった。民国13年(1924年)9月、陸軍上将銜を授かる。1925年(民国14年)1月、長江上遊警備副司令となった。同年5月には、長江上遊警備司令に昇進し、さらに10月には討賊聯軍鄂軍第2路総司令を兼任した。 1926年(民国15年)2月、北京政府中央から湖北督弁に任命されたが、すでに呉佩孚から湖北督弁に任命されていた陳嘉謨に拒否される。同年末、盧金山は、彭漢章率いる国民革命軍第9軍と王天培率いる同第10軍の攻撃を受けて敗北した。1927年(民国16年)、呉が下野すると、盧もやはり下野した。 以後、盧金山は天津に隠居した。日本軍が天津を占領後、盧は親日政府参加を打診されたが、これを拒否している。 1941年(民国30年)6月29日、天津で病没。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧金山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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