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盧 長震(ノ・ジャンジン、 1974年8月10日 - )は、韓国プロ野球・ロッテ・ジャイアンツに所属していた大韓民国出身のプロ野球選手(投手)。背番号は18。 2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表の予備エントリーメンバーに登録された投手。 == 来歴・人物 == 公州高校の3年生だった1992年、全国大会の青龍旗大会の決勝戦でノーヒット・ノーランの投球でチームを優勝に導いた。その年のシーズンオフで、地域優先ドラフトでビングレ・イーグルスに入団。しかし、プロの厳しい練習についていけず、チームを無断離脱するなど入団の頃から期待を裏切ってトラブル・メーカーとして定着してしまった。翌年は一般兵として入隊、2年半のブランクの後、チームに復帰したが、これと言った活躍はできず1998年オフ三星ライオンズにトレードされた。 三星ライオンズ移籍1年目の1999年、ようやく才能を開花させて、先発と中継ぎを行き来しながら投手陣の便利屋として活躍。しかし、プレーオフでロッテ・ジャイアンツのフェリックス・ホセから反撃の口火となるホームランを浴び、いわゆる「大邱大乱闘」の原因を作った。ハンファ時代と比べれば、三星ライオンズではそれなりの活躍は見せたものの、やはり激しい性格は捨てられず、無断離脱や飲酒運転によるトラブルなどで首脳陣を悩ませた。 結局、このため2004年シーズン途中、ロッテ・ジャイアンツにトレード。投手陣の層が薄かったロッテでは抑えに転身して、期待以上の成績を上げた。しかし、チームへの貢献とは別に、問題児としての性格はチームを移しても直らず、家庭不和で妻が自殺する事件に巻き込まれて、またもチームを離脱。紆余曲折を経て復帰はしたものの、試合に集中できず、練習不足で投球にも陰りが見えて立場が狭くなっていた。こういう状況だったのにも意に介さず、2006年オフFAの権利を行使したが、この問題児としての素行の悪さのため、ロッテを含むどの球団とも契約できなかった。結果として、2007年は韓国プロ野球所属のどのチームでもプレーできなかった。2008年以降も所属球団はなく事実上引退となった。 2010年より大佛大学校野球部(2012年よりセハン大学校野球部)のコーチとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「盧長震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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