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直江 信綱(なおえ のぶつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長尾上杉氏の家臣。越後国山東郡与板城主。 == 生涯 == 元は総社長尾家の出身で、長尾顕方の九男とも、長尾景秀の次男ともいわれる〔庶流の高津長尾景孝であったという説(木村康裕「直江信綱」(『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2))は年齢的に全く符合しないため、現在では否定されている。ただし、直江信綱が長尾景孝の子であった可能性は存在する(黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1)。〕。上杉家の重臣・直江景綱の娘・船と結婚し、婿養子となって直江与兵衛尉信綱と名乗る。天正5年(1577年)3月5日に養父・景綱が死去すると、直江氏の名跡と奉行職を継ぎ馬廻として上杉謙信に仕えた。 天正6年(1578年)の謙信急死後に勃発した御館の乱では上杉景勝方に付いて、景勝と共に春日山城に籠る一方、本拠地の与板城に残る直江氏一族や配下の与板衆を動員して周辺の上杉景虎派の討伐を進めた。この功により、乱後に新当主となった景勝のもとで重用されたが、天正9年(1581年)9月9日、重臣・河田長親の遺領を巡るトラブルにより春日山城内で会談中のところを毛利秀広に襲われ、山崎秀仙と共に殺害された。この時、信綱は身を守ろうと脇差を抜いて斬りかかったが、抵抗むなしく逆に返り討ちにあったという。 信綱の死後、妻の船は景勝の命令により景勝腹心の上田衆・樋口兼続と再婚させられ、直江家は兼続を当主として存続することになった。なお、信綱と船の間には実子(後の清融阿闍梨)が居たが、兼続を婿として迎えるにあたり出家させたといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「直江信綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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