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相模川佶延 : ミニ英和和英辞書
相模川佶延[さがみがわ よしのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance
: [も]
  1. (pref) imitation 2. copy 3. mock 4. replacement
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [きつ]
 【名詞】 1. healthy 2. correct

相模川佶延 : ウィキペディア日本語版
相模川佶延[さがみがわ よしのぶ]
相模川 佶延(さがみがわ よしのぶ、1917年7月13日 - 1987年1月22日)は、神奈川県愛甲郡南毛利村(現在の同県厚木市)出身で、春日野部屋に所属した大相撲力士である。本名は原島 寶(はらじま たから)。身長189cm、体重124kg。得意手は左四つ、突っ張り上手投げ。最高位は西関脇(1944年5月場所)。
== 来歴 ==
17歳の時に春日野部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。
1937年5月場所で序二段優勝してから上昇気流に乗り、三段目幕下十両をそれぞれ1場所で突破し、1939年5月場所に於いて新入幕を果たした。
長身から繰り出す突っ張りは威力があり、それが上位へ進出する際の大きな武器になった。
入幕2場所目の1940年1月場所で、新大関羽黒山に初黒星をつけた。羽黒山とは、通算の対戦成績も4勝7敗と善戦した。1943年1月場所、新小結で10勝5敗、さらに関脇に昇って8勝7敗、11勝4敗と関脇で2場所連続で勝ち越した頃が最盛期。1944年1月場所では、千秋楽に勝てば優勝だった羽黒山を破って小結・佐賀ノ花の優勝を結果的にサポートすることもあった。
しかし、得意とした突っ張りがはずれると四つ身は上手ではなかった。そのため、弱点を突かれると苦戦し、大関への挑戦は不発に終わった。1947年6月場所の1場所だけ「相模山」と改名したが初日不戦敗ののち休場し、すぐに四股名を「相模川」に戻している。
戦後は一気に衰え、1949年5月場所、十両に落ちたところで現役を引退。年寄名跡を取得できなかったため、引退後は日本相撲協会に残らなかった。
6代目尾上菊五郎が贔屓にした力士としても有名で、「相撲も踊りも、足が大切だ。」と踊りの稽古を相模川に勧めたと伝えられている。その後は、博多キャバレーを経営するなどした。
1987年1月22日、逝去。享年69。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「相模川佶延」の詳細全文を読む




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