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相田 洋(あいだ ゆたか、1936年5月3日 - )は、日本のテレビ番組ディレクター。NHKに39年勤務した後、フリー。 == 人物・経歴 == 旧朝鮮・全羅北道出身、小学生のときに引き揚げた。熊本県立熊本高等学校を経て早稲田大学法学部卒業後、1960年にNHK入局。NHK札幌中央放送局でラジオの録音構成やテレビのドキュメンタリー番組のフィルム構成を経て、1966年に東京の教育局教養部へ。その後もNHKでは一貫してドキュメンタリー畑を進む。 1968年に「ある人生」で企画したあるぜんちな丸によるブラジル移民を取材した「乗船名簿AR29」で文化庁芸術祭奨励賞を受賞。その後も1978年に「移住10年目の乗船名簿」、1988年に「移住20年目の乗船名簿」、2000年に「移住31年目の乗船名簿」と乗客を10年ごとに追跡取材し、相田のライフワークとなった〔『映像の先駆者 125人の肖像』p.243〕。その他にも、NHK特集『核戦争後の地球』でイタリア賞や芸術祭大賞など6賞、NHKスペシャル『電子立国日本の自叙伝』で1992年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、ドキュメンタリー番組で多数の受賞歴がある。 1987年のNHK特集、シリーズ『自動車』で確立した「自らも番組に出演しアナウンサーとトークを展開する」という独特のスタイルも有名で、これは日本テレビの『テレビ三面記事 ウィークエンダー』に影響を受け、方法論を踏襲しものだという〔相田洋『ドキュメンタリー 私の現場 記録と伝達の40年』日本放送出版協会、2003年、pp.192-193〕。特に『電子立国』シリーズ等でコンビを組んだ三宅民夫とは絶妙なコンビネーションを見せたことで知られる。『新・電子立国』ではスタジオトークだけでなくロケにも登場し、モーションキャプチャ技術のデモのために自らラジオ体操第1を実演した。 管理職にはならずに、現場でチーフディレクターとして番組を制作し続け、1999年にNHKを定年退職。退職後は慶應義塾大学環境情報学部教授を務めていたが、2001年からフリーランスとして、映像ドキュメンタリーの世界で活動している。2000年には紫綬褒章を受章している。 2013年には、認知症を患った母が99歳で亡くなるまでの8年間の在宅介護の模様を小型ビデオで自ら撮影し、ドキュメンタリーとして2夜連続で放送された。その記録は専門家から貴重な資料として高く評価された〔“認知症800万人”時代、2夜連続Nスペで特集 ORICON STYLE 2013年11月23日〕〔在宅介護の修羅場!「ドキュメンタリスト相田洋」撮り続けた認知症母との悪戦苦闘―続けてほしいNHK問題提起 <NHKスペシャル 母と息子の介護記録~認知症800万人時代への処方箋>(NHK総合) J-CASTテレビウォッチ 2013年11月28日〕。 自分の作品(『電子立国』シリーズ)でコンピュータについて学習し、アスキー・ドットPCにエッセイを連載(『相田洋のデジタル大好奇心』)している。同エッセイにおいては、2005年発表の作品『鼓の家』ではローランド社製のダイレクトリニア編集機「DV-7DL」を駆使して一切の編集作業を自ら行ったことを明らかにしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相田洋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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