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相良晃長 : ミニ英和和英辞書
相良晃長[さがら みつなが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance
: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

相良晃長 : ウィキペディア日本語版
相良晃長[さがら みつなが]

相良 晃長(さがら みつなが)は、肥後人吉藩の藩主。第8代藩主相良頼央の養子として、宝暦9年(1759年)から宝暦12年(1762年)まで藩主の地位にあり、公式には第9代藩主とされる1人目の人物である(後述)。
== 生涯 ==
宝暦2年(1752年)2月20日、日向高鍋藩主・秋月種美の三男として生まれる。兄に有名な出羽米沢藩主・上杉鷹山(治憲)がいる。宝暦9年(1759年)12月11日、頼央が暗殺されたため、末期養子に迎えられて家督を継いだ。相良家と秋月家の間には、領地が近いという関係の他、第6代人吉藩主相良長在の正室の寿昌院が秋月家出身(種美の姉で晃長の伯母)という縁もあった。当初は兄の松三郎(鷹山)が養子に望まれていたが、すでに上杉家との養子縁組の交渉が進行中だったため、代わって弟の長次郎(晃長)が迎えられた。
生来病弱であった晃長は、3年後の宝暦12年(1762年)2月4日に早世した。享年11。この年齢で継嗣があるわけがなく、秋月家と同様に相良家の縁戚に当たる大納言鷲尾隆熙の子を新たな藩主相良頼完として迎えた。しかし、頼完は晃長より年長で、さらに17歳未満では末期養子は認められないことから、人吉藩では無嗣断絶による改易を恐れて、晃長の病状は回復し、その後に頼寛と改名したということにした。つまり、幕府には晃長と頼寛を同一人物であるということにして処理し、さらに公式系譜も改竄した〔公式系譜を改竄しても、相良家の記録や藩内の史料では事実関係が記されており、後世に実態が伝わっている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「相良晃長」の詳細全文を読む




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