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相良長誠 : ミニ英和和英辞書
相良長誠[さがら ながとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance
: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [まこと]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

相良長誠 : ウィキペディア日本語版
相良長誠[さがら ながとも]
相良 長誠(さがら ながとも/ながまさ〔池田こういち著 『肥後相良一族』 ISBN 4404032536 では「ながとも」、人吉市にある「人吉城歴史館」内の説明文等では「ながまさ」としている。〕、天正6年4月3日1578年5月19日) - 慶長15年6月23日1610年8月11日))は、相良氏の第18代当主・相良義陽の三男。母親は豊永長英の娘。幼名は藤千代。通称は佐三郎。
==生涯==
19代当主・忠房、20代当主・頼房の同腹の弟として生まれる。天正13年(1585年)忠房が病死し、島津氏の人質となっていた頼房が家督を継ぐことになったため、頼房に代わり薩摩国出水に半年ほど人質として過ごした。天正15年(1587年)4月、豊臣秀吉九州征伐八代まで進軍した折、島津氏を救うべく日向国へ出征していた頼房に代わり、深水長智に伴われて秀吉へ降伏すべく謁見している。
その後は、中城に居室を構えて移り住み、家老深水頼蔵の娘と婚姻した。しかし、頼蔵が相良家を出奔したために離別することとなる。長誠は悲嘆にくれ、その後に重い病を発症した。ようやくそれが癒えた頃、伯耆頼綱の娘を後室として迎えたが、病気が再発したことで再び離縁している(離縁した両方ともが、家老の犬童頼兄の催促によるもの)。それからは長い養生生活を強いられ、更には膈(の周辺)の病を発症したことで衰弱し、慶長15年に中城にて病没、永国寺に葬られた。法名は光屋清容。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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