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相馬 敏夫(そうま としお、1898年(明治31年)7月6日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』693頁。〕 - 1980年(昭和55年)2月24日〔)は、日本の大蔵官僚、実業家。官選栃木県知事、明治製糖社長。旧姓・上平。 ==経歴== 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)出身〔『長野県歴史人物大事典』403頁。〕。上平猶一の三男として生まれる〔『人事興信録』第15版 上、ソ2頁。〕。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)から愛知県旧制熱田中学(現愛知県立熱田高等学校)へ転じ〔、第八高等学校を卒業。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。大蔵省に入省し理財局属となる〔〔『新編日本の歴代知事』276頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』230頁。〕。1923年、相馬半治の養子となる〔。 以後、大蔵省銀行局勤務、英仏駐在・財務書記、横須賀税務署長、永代橋税務署長、東京地方専売局事業課長、専売局販売部販売課長、大蔵書記官・上海財務官事務所勤務、専売局参事官・長官官房総務課長、大蔵書記官・河内総領事、専売局煙草事業部長、大蔵省監理局長、東京都参事官などを歴任〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』29頁。〕。 1944年11月、栃木県知事に就任し終戦を迎えた。空襲被害者の救済、食糧増産などに尽力。1946年1月、知事を辞職し退官〔。その後、公職追放となる〔。 戦後は実業界に転じ、明治製糖社長、日本精糖工業会会長、協和銀行監査役、足利銀行監査役などを務めた〔『現代物故者事典 1980~1982』181頁。〕〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相馬敏夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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