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相馬胤永 : ミニ英和和英辞書
相馬胤永[そうま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood

相馬胤永 ( リダイレクト:高井胤永 ) : ウィキペディア日本語版
高井胤永[たかい たねなが]
高井 胤永(たかい たねなが、永禄元年(1558年) - 寛永17年1月13日1640年3月5日))は、戦国時代から江戸時代の人物。古河公方家、後大久保氏家臣。下総相馬氏の一族。下総国高井城(現在の茨城県取手市)城主。相馬治胤の弟。通称・十郎。は覚庵庵。子に相馬胤将らがいる。
高井氏は下総相馬氏の分家であるが、その系譜は明らかではなく、治胤・胤永兄弟の実父の名も詳らかではない。だが、兄・治胤が下総相馬氏の家督を継いだため、胤永が実家の高井氏を継いだ。兄に従って後北条氏に従属し、佐竹氏らとの戦いに従事、天正12年(1584年)の沼尻合戦においては、北条氏直から感状が与えられている。
豊臣秀吉小田原征伐では兄とともに小田原城籠城して改易される。後に徳川家康に召しだされるが、大久保忠隣改易で息子・胤将が連座したことに加えて、大坂の陣で軍律違反を犯したとして改易される。その後は郷里の高井に戻って隠遁生活を送ったという。
嫡男・胤将(天正6年(1578年生まれ)は、父や伯父とともに小田原城に籠城後に大久保忠常忠職父子に仕える(関ヶ原の戦い後、一時出奔して黒田如水に仕えたが程なく帰参している)。その後、大久保忠隣失脚のあおりで不遇を囲ったが、幼君・忠職に仕えてその再興工作に奔走した。胤将は慶安5年(1652年4月18日に75歳で没した。菩提寺は普蔵山高源寺(現在の取手市下高井)。墓地内に陵墓がある。
子孫は大久保氏で重臣を務めている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高井胤永」の詳細全文を読む




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