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相馬重胤(そうま しげたね) *陸奥相馬氏第6代当主。 *陸奥相馬氏第11代当主。 == 相馬重胤 (鎌倉時代・南北朝時代) == 相馬 重胤(そうま しげたね、 生年不詳 - 延元2年/建武4年(1337年))は、鎌倉時代から南北朝時代の人物。陸奥相馬氏第6代当主。相馬師胤の子。相馬親胤、相馬光胤の父。孫五郎。 嫡流(下総相馬氏)の相馬胤氏や相馬師胤(重胤の父とは別人)らと所領を巡りたびたび争いを起こす中で、形勢が不利となったため、1323年、一族郎党80余騎、寺社、同行を願う百姓らとともに陸奥に下向〔(相馬野馬追保存会)昭和60年 〕。太田川沿いに拠点を広げて小高城を築くなど勢力を拡大、陸奥相馬氏の祖となった。鎌倉幕府の滅亡後、建武の新政が成立するとそれに従ったが、のちに足利尊氏が台頭するとそれに味方し、南朝方の千葉氏、下総相馬氏と対立した。子の親胤を尊氏の上京に従わせる一方で、次子の光胤を陸奥の守りにつかせ、自身は斯波家長と共に鎌倉の守備にあたったが、北畠顕家の攻撃を受け戦死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「相馬重胤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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