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真之真石川流(しんのしん〔「真之真」の読みは、「まのま」とも。参考・『武州本庄宿ふるさと人物史1』 市制施行35周年記念本 p.53〕いしかわりゅう)は、江戸時代から明治時代にかけての剣術流派。石川蔵人が創始した剣術で、柳生新陰流の末流とされる流派である。主に上野国南部から武蔵国児玉郡を中心に普及した流派で、常陸国や越後国〔『小林庄松源天宴 起請文』に記された門人名には(以下、原文ママ)、越後国蒲原郡小杉村・小杉二三太、同国同郡上早返村・佐々木宇左ヱ門、同国頚城郡猪山・片 喜右衛門、同国同郡新井・小林作太郎、越后国刈羽郡柏崎町・笠原善次郎、同国上頭城郡今町・岩崎金二郎の名が書かれている。また、江戸品川・小柳松五郎、江戸桜田・林助左ヱ門と記されており、江戸から来た門人も確認できる。〕等から学びに来る者もいた(大里郡にも当流は伝わっていた)。 == 概要 == 『真之真石川流 小林庄松源天宴 起請文』(小林新吉所蔵)によれば、流祖石川蔵人は柳生宗矩(原文は柳生但馬守)の門人となり、柳生派真々流(新陰流の事か)を学び、自氏の二字を加えて改名し、諸国修行の末、開いたものと伝えられている。伝承上、流祖が柳生宗矩と師弟関係にあり、同年代の人物と考えられる事から、17世紀に創始された剣術と考えられる。流祖の姓が源氏であった事から、歴代継承者の武号も源となっている。最盛期の門人数は、数千人規模であったと伝えられている。 4代目である庄松(源天宴)以降は北武蔵(現在の埼玉県北西部)の農民の間に静かに伝えられてきたが、当流の使い手である四方田幸作義次の身分は代官であり〔『埼玉武芸帳』 p.87より〕、6代目である黒沢政八の身分は武士である〔『埼玉武芸帳』 p.88より〕事から、必ずしも百姓剣術ではなかった。天保年間に黒沢政八によって建てられた真之真石川流の道場である真勇館における稽古風景が描かれた絵が残されている〔『埼玉武芸帳』 p.19において絵が確認できる〕が、面胴の防具を身につけ、鍔つき竹刀を振る典型的な近世剣術である事が分かる。黒沢家は4代にわたって真勇館において門人を指導した。奥山念流と同様、当流も失伝して現存しない剣術流派の一つである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真之真石川流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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