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真之神道流(しんのしんとうりゅう)とは山本民左衛門英早が創始した柔術の流派である。活殺術に優れていたと言われ、天神真楊流の元になった流派の一つである。天神真楊流の中段、極意上段は真之神道流の中段、上段とほぼ同じである。 == 歴史 == 山本民左衛門英早は大坂同心であり、楊心流を大江千兵衛広富より学んだ。英早は数多い形を初段・中段・上段の三段階七十数手にまとめ、真之神道流と名乗った。後に江戸に出て道場を開いた。 二代目は土肥無端斎安信が継ぎ、活殺の術の名手として名高かったという。土肥の門下から揚心神道流の大江嶋右衛門(島衛門)が出ている。 三代目を継いだのは本間丈右衛門正遠であり、神道一心流開祖・櫛渕弥兵衛より剣も学び、吹雪算徳とも名乗った。本間の門下から天神真楊流を開いた磯又右衛門正足が出ている。 初代、二代のいずれかの時点で当時大坂を中心に広まりつつあった堀田頼保、滝野遊軒の起倒流と交流があったと思われ、起倒流の伝書や術理が一部取り入れられている(一部伝書については逆の可能性も考えられる)。一説によると滝野遊軒は、堀田頼保に入門する以前に、山本民左衛門の門下で真之神道流を学んでいたとも言われている。 初代から三代まで江戸で柔術を教えていた時期があったと思われ、全国的に広がった。明治・大正・昭和と柔道と併習される傾向が多かったと言われる。昭和末期~平成始め頃に免許皆伝者は絶えたようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真之神道流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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