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真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - )は、元プロ野球選手(内野手)・野球指導者(コーチ)である。選手としては近鉄バファローズに所属した。 == 来歴・人物 == 沖縄県沖縄市出身。沖縄高校を卒業後、社会人野球の東芝に進むと、遊撃手としての高い守備力が注目されるようになる。1986年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズに3位で指名され、契約金と年俸それぞれ4,500万円、520万円(いずれも推定)で契約を結び入団〔読売新聞、1986年12月6日付朝刊、P.17〕。 プロ1年目のは前年のレギュラーだった村上隆行の負傷もあって4月10日の開幕戦に遊撃手として先発出場し、村田兆治から本塁打を放つという華々しいデビューを飾る。7月にはジュニアオールスターゲームに最年長で参加し、三塁打を含む2安打を記録して敢闘賞を受賞〔読売新聞、1987年7月25日付朝刊、P.15〕。村上の打撃が不振だったシーズン後半には再び一軍でスタメン起用されるようになった〔週刊ベースボール、1988年5月16日号、P.27〕。 翌は村上が外野手にコンバートされ、安達俊也とレギュラーを争いながら遊撃手としてレギュラークラスとなる。7月5日にはピッチアウトされた球に飛びついて決勝スクイズを決めるなど出番を増やしていき、10.19の両試合を含む76試合にスタメン出場を果たしている。 は米崎薫臣が入団してライバルが増えたが97試合に先発出場し、日本シリーズでも全試合にスタメンで起用された。同年オフの契約更改では年俸が78%増の2,560万円(推定)となっている〔読売新聞、1989年12月8日付朝刊、P.19〕。その後は徐々に出場機会が減少し、オフには200万円減の年俸1,650万円(推定)で契約を更改した〔読売新聞、1993年12月3日付朝刊、P.23〕。翌は一軍での出場がなく、同年で現役を引退し、そのまま近鉄で一軍守備走塁コーチを務めている〔朝日新聞、1997年12月3日付朝刊、P.25〕。 に近鉄とオリックスが合併しオリックス・バファローズとなった際には新監督の仰木彬からコーチ就任を要請され〔朝日新聞、2004年10月25日付朝刊、P.17〕、までオリックスで一軍守備走塁コーチを務めた。に、かつての同僚である梨田昌孝が監督に就任した北海道日本ハムファイターズに一軍内野守備コーチとして就任し梨田が監督を務めたまで一軍、シーズンからは同球団の二軍内野守備コーチを務めた。より再びオリックス・バファローズの一軍守備走塁コーチを務める。10月3日に来年度の契約更新を行わない旨を通告された〔コーチ退団のお知らせ オリックス・バファローズ球団公式サイト2015年10月3日配信〕。10月13日に2016年から梨田が監督に就任する、東北楽天ゴールデンイーグルス一軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された〔新任コーチに関して 楽天公式サイト2015年10月13日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真喜志康永」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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