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真夜中の虐殺(Midnight Massacre)とは、第二次世界大戦末期のアメリカ合衆国で起こった戦争捕虜の殺害事件である。1945年7月8日未明、ユタ州の捕虜収容所で看守を務めていた米陸軍のクラレンス・V・ベルトゥッチ二等兵(Clarence V. Bertucci)が、収容されていた旧ナチス・ドイツの捕虜を機関銃で銃撃し、9人を殺害、20人を負傷させた。この事件は「アメリカ史上最悪の捕虜収容所における虐殺」(the worst massacre at a POW camp in U.S. history)とも言われる。第二次世界大戦中に枢軸軍捕虜の殺害に関する起訴を受けた米軍人は3人のみであったが、ベルトゥッチもその1人であった。この事件が発生した時点でナチス・ドイツは降伏しており、欧州における第二次世界大戦は事実上終結していた。 ==背景== 第二次世界大戦中、ユタ州には多くの捕虜収容所が設置され、州内には合計しておよそ15,000名のドイツ人およびイタリア人捕虜が存在した。サライナ収容所(Camp Salina)は比較的小規模な収容所で、他の収容所に送られる前の一時的な収容施設として使われる事が多かった。1944年から1945年にかけておよそ250人の捕虜が収容されており、その大半はエルヴィン・ロンメル将軍の元で戦ったドイツアフリカ軍団(DAK)の隊員であった。設備も簡素なもので、下士官兵用の木製床板付テントが43張、士官用のバラックが1棟、そしてそれらを3つの監視塔が囲んでいた。アメリカ国内の捕虜収容所は市街地から離れ孤立した場所に建てられることが多かったが、サライナ収容所は町の中央にあたる大通りの東端に位置していた。ドイツ捕虜らはしばしば農作業を手助けするべく住民の元に派遣されており、『』紙のパット・バグレー(Pat Bagley)によれば、捕虜らは概ね友好的かつ紳士的に振舞っていたという。 ベルトゥッチ二等兵は1921年にニューオーリンズで生まれ、1940年に学校を中退して陸軍に入隊した。以後の5年間、イングランドなど海外での勤務を続ける。しかし、この時期に彼は「規律上の問題」を抱え、昇進もほとんど望めなくなっていた。後に彼自身が証言したところによれば、彼は入隊の際に「ドイツ人を殺す機会」が与えられると聞いていたものの実際には一度もその機会がなかった為に「騙された」と感じており、自らの海外勤務に大きな不満を抱えていたという。さらに「いつかおれはおれのドイツ人を見つけるんだ。今度はおれの番だ」(Someday I will get my Germans; I will get my turn.)とも語っていたという。彼は非常に強い反独感情を公然と抱いていたが、一方で計画的犯行を示す証拠は発見されなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真夜中の虐殺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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