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真如苑 : ミニ英和和英辞書
真如苑[しんにょえん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真如 : [しんにょ]
 【名詞】 1. the absolute 2. absolute reality
: [えん, その]
  1. (n,n-suf) garden (esp. man-made) 2. park 3. plantation

真如苑 : ウィキペディア日本語版
真如苑[しんにょえん]
真如苑(しんにょえん)は、東京都立川市柴崎町に総本部を置く、仏教(真言宗)系新宗教〔小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566,P567 新宗教〕〔小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645〕〔井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60〕〔文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P15,P16〕〔新宗教研究会『図解 新宗教ガイド』 九天社 (2006/01)P42~P47〕。真如苑では、自らの特色として「出家仏教の修行を基盤とする在家仏教教団」としている〔沼田健哉『真如苑の研究』桃山学院大学社会学論集 24(1), P55-86, 1990年9月 〕。「まこと教団」と称していたが、教祖・伊藤真乗が傷害容疑で逮捕・起訴されたのち、真如苑に改名した。〔島田裕巳『日本の10大新宗教』 幻冬舎(2007/11) P185〕〔島田裕巳『現代にっぽん新宗教百科』 柏書房 (2011/09) P94,P95〕〔。
== 概要 ==
*名称:真如苑
*総本山:燈檠山真澄寺(とうけいざん・しんちょうじ)
*立教:1936年2月8日
*: 1951年宗教法人法施行後、1953年文部省により宗教法人として認証。
*本尊:久遠常住釈迦牟尼如来(くおんしょうちゅう・しゃかむににょらい、開祖自刻の釈迦涅槃像
*経典:大乗大般涅槃経(正依経、傍依として般若経法華経等他華厳経典も重視、なお般若・法華・涅槃をもって真如三部経と称呼する)
*開祖:伊藤真乗(いとう・しんじょう 1906~1989)
::伊藤友司(いとう・ともじ 1912~1967)
*苑主:伊藤真聰(いとう・しんそう 1942~)
*現代表:松田彰彦(文部科学省所轄包括宗教法人代表役員)〔文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P113〕
*信者数:733,191(H6/12/31現在)〔文化庁『宗教年鑑 平成7年版』 P69〕  878,673(H20/12/31現在)〔文化庁『宗教年鑑 平成21年版』 P71〕
*所在地:東京都立川市柴崎町1-2-13
==略史==

===草創期===
開祖・伊藤真乗(俗名・文明)と妻・伊藤友司(1950年の修行法畢後、僧名を「真如」と授与されるも俗名の友司の名を用いた。死後、摂受院さらに摂受心院の法号)は共に山梨県出身〔 『一如の道 補訂第二版』 真如苑教学部(1997.12 第六刷) P345~P356,P363~P367,P394〕。真乗は、昼間の正規の学校としては高等小学校を出ただけであった〔三土修平「水ぶくれ真如苑」AA出版 (1987/12) 歴史①草創期〕。
伊藤真乗は石川島飛行機(株)勤務の傍ら、少年期に継承した伊藤家家学の易学をもとに、長じて、大日本易占同志会で易を学び〔 、易占で、家庭・事業・病気・縁談などを鑑定し判断を与えていた〔松野純孝/編『新宗教辞典』  東京堂出版 (1984/10) P153~P156〕。真乗は易学研鑽の途上知り合った真言行者の紹介で、雑司ヶ谷の天明教会(真言宗醍醐派修験道部)先達、浦野法海と縁を結んだ。妻・友司の祖母は、霊能家であり、明治初年、巷間に多くみられた狐憑き落としなどの除霊を行っていた〔〔梅原正紀・他/著「新宗教の世界Ⅲ」 大蔵出版(昭和53年7月) P116,P117〕。真乗、友司ともに宗教的背景の中に育った。真乗は少年期から、易学、を嚆矢に、浄土教法華経、また浅野和三郎の心霊科学にも触れ、友司は観音信仰を深くしていた。1932年4月に結婚してのち、夫婦でキリスト教会にも通った。1935年暮れ、伊藤夫妻は東京の仏具屋で見つけた〔不動明王像自宅に迎え、翌年、友司が、伯母から、祖母の霊能を受け継いだと告げられ、宗教活動を勧められると、4日後の1936年2月8日、真乗は会社勤務を辞し、宗教活動に専念することになった。現在、真如苑では、この日をもって立教の日としている。二・二六事件による戒厳令下、3月、民法に沿い自宅を成田山新勝寺講中とし「立照閣」を届出、合法活動を講じた。5月19日、真言宗総本山醍醐寺に上り、三宝院道場にて佐伯恵眼座主戒師のもと出家得度の儀に臨み辞令を得た〔〔。立教当初の活動は、真乗の易占に加えて、友司を霊媒として不動明王にお伺いを立てるという形のものであったらしい〔。
1938年、後に「真澄寺」と呼ばれる道場が完成し、組織も「立照閣」から「真言宗醍醐派立川不動尊教会」へと改められた。真如苑の説明では、道場建設場所は、友司による霊意に従って選定された〔。
1939年恵印灌頂、その後、伝法灌頂を畢めた。なお、真乗は、1941年(昭和16年)に伝法灌頂を畢めたとしていた〔が、真如苑では、1943年(昭和18年)としている。1941年3月、真言宗醍醐派管長の命に、東京武蔵村山市「常宝院」の特命住職に任ぜられ〔ひろたみを「ルポルタージュ真如苑」知人館(1990) P144〕、
僧階も、権律師から少僧都へと昇進した〔真乗刊行会「真乗 心に仏を刻む」 (2007)中央公論新社 P99〕。終戦後、立川不動尊教会は真言宗から離れて、独立の宗団となり、1948年には名称も「まこと教団」へと改められた〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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