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真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である〔真山くみ子 、''jlogos.com'', エア、2010年7月13日閲覧。〕〔''真山くみ子''、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月12日閲覧。〕〔''真山くみ子''、''高松美絵子''、日本映画データベース、2012年7月12日閲覧。〕〔''真山くみ子''、キネマ旬報映画データベース、2012年7月12日閲覧。〕〔''真山くみ子''、''高松美絵子''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月12日閲覧。〕〔''真山くみ子''、テレビドラマデータベース、2012年7月12日閲覧。〕。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)〔〔〔〔。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる〔。 == 人物・来歴 == === 新興東京のスター === 1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる〔〔。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する〔。 1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する〔〔〔。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった〔〔〔〔。同作は、同年5月27日に日活が配給して公開された〔。満18歳での同作への出演が、真山のスクリーンデビューとなった〔。167センチメートルという長身と美貌で、日活京都撮影所の大スター俳優大河内伝次郎の目に止まり、時代劇映画『千両礫』での大河内の相手役に抜擢されたが、芝居がおぼつかなく、途中降板の憂き目に遭った〔。 翌1936年(昭和11年)、新興キネマ(のちに合併して大映、現在の角川書店映像事業部門)に移籍し「真山くみ子」と改名する〔〔〔〔〔。記録にみられる同社での最初の出演作品は、同年10月9日に公開された、新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)が製作し、伊奈精一が監督した『小間使日記』で、準主演級の役どころであった〔〔〔〔。1週間後の同年10月15日に公開された、高田稔の高田プロダクション製作、牛原虚彦監督の『兄の誕生日』では、高田の演じる「兄」の妹役で高田に次ぐ主演であった〔。以降、1941年(昭和16年)11月13日に公開された、同社での最後の作品にあたる深田修造監督の『太陽先生』にいたるまで、大作や山路ふみ子らの主演作以外では、ほとんどが主演か立松晃、宇佐美淳、清水将夫、若原雅夫ら主演俳優の相手役を務め、新興キネマ現代劇のスター女優でありつづけた〔〔〔〔〔。 1942年(昭和17年)、戦時統制のため、新興キネマが大都映画や日活の製作部門と合併し、大映を形成すると、真山はそのまま在籍し、戦時中で日本全体の製作本数の減るなか、島耕二監督の『山参道』(同年)、小石栄一監督の『八処女の歌』(同年)、沼波功雄監督の『結婚命令』(1943年)等で主演を果たすことが出来た〔〔〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真山くみ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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