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真崎 照郷(まさき てるさと、1851年(嘉永4年)12月12日 - 1927年(昭和2年)3月9日)は、明治から大正にかけての発明家、実業家。製麺機の発明で知られ、佐賀の発明王と呼ばれる。 == 経歴 == 1851年、佐賀郡巨勢村(現佐賀市巨勢町)の代々酒造業を営む家に生まれる。6歳の時に父を亡くし、以後稼業を切り盛りする母親の手で育てられた。ジェームズ・ワットによる蒸気機関の発明に影響を受け発明の道を志し、明治7年、最初の発明である測量機「真崎円度」を完成させる。 その後、佐賀で盛んだった素麺作りを機械式にすることを思い立ち(当時小麦粉から作る素麺は粉に比べおよそ4倍の値段で売れていた)、家業の酒造業は使用人に任せ、自らは明治10年に真崎鉄工所を設立して研究開発に没頭する。しかし開発は難航し、酒蔵は倒産。田畑や家財道具も売り払い食費を工面するありさまとなった。 しかし、彼を「立派に家名を挙げ先祖にむくいよ」と教えていた母の支えもあり、明治16年、8年の月日とおよそ9万円の費用をかけ、遂に製麺機の開発に成功した。特許法が整備段階であったため月日がかかったが明治21年には「製麺製造機械」の特許を取得した。 鉄工所の方も日清戦争後に製麺機の需要が拡大したことを受け順調に発展し、新工場を設立したほか、上海や大邱など海外にも販路を広げていった。また電動機、変圧機、電気開閉器、鉱山機械などにも進出し、大正7年には藤山雷太を社長に迎え日本電気鉄工株式会社と組織を変更した。この会社は、電力機械灌漑を創案し、佐賀平野に広がるクリーク地帯の農業に多大の貢献をし、農業県佐賀が全国から注目を受けた「佐賀段階」の基礎となった。1977年廃業。 明治40年に県内初の藍綬褒章を受章。明治44年には久留米で行われた陸軍の演習に行幸した明治天皇に工業功労者として召され拝謁する栄誉を得た。その後晩年は郷土の発展にも力を尽くし、巨勢村の村長や村議会議員として河川の改修などを手がけた。大正11年には村から第1回名誉職表彰状を得、さらに大正15年には大正天皇から発明奨励金が下賜され、帝国発明協会から恩賜記念賞ならびに大賞を下付されている。 1927年(昭和2年)3月9日、77歳で病没した。現在の佐賀市内にある巨勢神社には彼の業績を讃える記念碑が建立されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真崎照郷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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