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真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年6月16日 - 2012年1月2日)は、日本の漫画原作者・小説家・空手家。本名は高森 真土(たかもり まつち)。世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期ながら手がけていた。 ペンネームは高森三兄弟の本名の名前の部分を梶原のアイデアで作った合成名である。梶原の「朝樹」と「真土」の部分を半分にして氏名の「真樹」。「日佐夫」は三男「日佐志」の名を「日佐夫」とゴロよく「志」を「夫」として「真樹日佐夫」。 == 来歴 == 東京都出身。兄は漫画原作者の梶原一騎。東京都立小山台高等学校を経て早稲田大学英文科を中退(自称)後、梶原一騎の紹介で極真会館に入門し、大山倍達と義兄弟の契りを結ぶ。 極真会館東京渋谷支部長や通信教育部門「マス大山カラテスクール」での指導を経て、弐段位にあった1977年(昭和52年)〔「国際空手道連盟極真会館-年度別昇段登録簿-国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O 出版事務局、2001年、62-63頁。〕より、総本部第三代師範代になった。大山倍達から機関誌『近代カラテ』の発行を移管され、誌名を『現代カラテマガジン』に変えて刊行していた。この頃、道場生だった麻原彰晃によく稽古をつけていた〔JNN報道特集より。〕。1978年に主演した東映映画『カラテ大戦争』では、別人が声を吹き替えた。本人曰く「なにせこの声だからねえ(笑)」とのこと〔フジテレビ『SRS』のインタビューで。〕。1980年(昭和55年)には、独自の門派真樹道場を設立する。世界空手道連盟士道館の添野義二館長より、士道館名誉伍段を与えられている。 空手と同時に、劇作家、漫画原作者として『ワル』などを手がける。作家としてのペンネームは高森真士(たかもり しんじ)。この筆名で書いた「凶器」にて、1968年(昭和43年)のオール讀物新人賞受賞。また2000年(平成12年)には、『兄貴』でJLNA文学賞特別賞受賞。梶原との共同作品の際は、正木亜都(まさき あと)というペンネームを用いた。近年は、コアマガジンの『実話マッドマックス』の誌面に度々登場しており、『ブブカ』では連載も担当。『タイガーマスク☆ザ・スター』『新☆四角いジャングル』『新空手バカ一代―格闘者』など兄の梶原のヒット作をリバイバルした作品も多々ある。 2011年初頭に話題となった『タイガーマスク運動』に際しても「(兄)梶原一騎があの世から姿を変えて、この世に伊達を遣わせているんじゃなかろうか」と語り、名も知らぬ“伊達直人”に感謝の念を語っていた〔原作者実弟“タイガーマスク運動”に激白 デイリースポーツ 2011年1月12日閲覧〕。同年、『サンデージャポン』のサンジャポファミリーとしてVTR出演。 2012年1月2日、趣味であるヨットセーリングを楽しむべく、神奈川県の逗子マリーナにある自身所有のヨットへ乗船しようとした際に倒れ、病院に救急搬送されたものの、そのまま帰らぬ人となった〔故梶原一騎氏の実弟・真樹日佐夫氏が死去 デイリースポーツ 2012年1月3日閲覧〕。。真樹の死因は急性肺炎と発表された。2011年末から体調を崩しており、本人も周囲も風邪と認識していたという〔訃報:真樹日佐夫氏が急性肺炎で死去 ゴッド・ブレス・リング 2012年1月3日閲覧〕。メディアへの登場は、ムック誌『KUROOBI』での長谷川一幸との対談が最後になった。没後に開かれた真樹日佐夫を偲ぶ会には多くの格闘技・空手界関係者が参列に駆けつけ、日頃敵対関係にある極真諸派の代表も参列した。芦原会館とは芦原英幸が梶原一騎の逮捕後に距離を置き、新宿で道場が隣接したため関係が悪化していたが、芦原の死後、真樹が芦原に関して好意的なコメントをしていたため、二代目英典からは献花が送られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真樹日佐夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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