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真玉橋 : ミニ英和和英辞書
真玉橋[まだんばし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 

真玉橋 : ウィキペディア日本語版
真玉橋[まだんばし]

真玉橋(まだんばし)は、沖縄県那覇市豊見城市の間を流れる国場川にかかる橋の名称。また、豊見城市側の地名にもなっている。
== 真玉橋の歴史 ==
「真珠湊碑文(まだまみなとひもん)」(沖縄戦で破壊されたが、2000年代に再建された)によれば、真玉橋が最初に架橋されたのは琉球王国第二尚氏時代、第三代尚真王1522年である。その目的は1.日常の政治目的(按司などの使用)、2.城(おそらく真玉橋の南側にあった豊見城(とみぐすく))と水(水害)の保護、3.有事の際に島尻地域の軍勢を那覇港に集結させるため、であり首里と沖縄本島南部(島尻地域)を結ぶ真珠道(まだまみち)の一部として建造された。初代の橋は木造であった〔「琉球国旧記」による。〕。
真玉橋が石造橋となったのは第十一代尚貞王1708年のことで、5連のアーチ橋が完成した。当時の琉球国内では、1451年に建造された長虹堤に続く石造アーチ橋であったと考えられている〔「重修真玉橋碑文」による。真玉橋南詰の真玉橋公民館前に復元されている。〕。橋長約38m、幅員約4.8mで、両端のアーチ橋は無名だが、中の3つのアーチ橋は南からそれぞれ「世持橋」「コモコ橋」「世寄橋」と命名されていた。その後1837年に大改修されて琉球王国消滅後も存在していたが、1945年沖縄戦の際退却する日本軍によって破壊された〔沖縄県史〕。
戦後米軍によって鉄橋が、さらに1963年には琉球政府によってコンクリート橋が架けられていたが、2002年に再びアーチ橋として架橋された。この架橋工事の際に旧アーチ橋の遺構が発見され、現在も国場川の両岸に保存されている。
橋名の「まだま」とはおもろ語の褒め言葉であるという〔東恩納寛惇『南島風土記』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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