翻訳と辞書
Words near each other
・ 真田信幸
・ 真田信弘
・ 真田信成
・ 真田信房
・ 真田信政
・ 真田信方
・ 真田信昌
・ 真田信春
・ 真田信正
・ 真田信治
真田信直
・ 真田信経
・ 真田信綱
・ 真田信繁
・ 真田信親
・ 真田信重
・ 真田信音
・ 真田健一郎
・ 真田傍陽線
・ 真田十勇士


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

真田信直 : ミニ英和和英辞書
真田信直[さなだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真田 : [さなだ]
 【名詞】 1. plait 2. braid
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

真田信直 ( リダイレクト:真田信利 ) : ウィキペディア日本語版
真田信利[さなだ のぶとし]

真田 信利(さなだ のぶとし)は、江戸時代前期の上野沼田藩主。父は真田信吉。母は側室で真田家家臣依田氏の娘。「信利」との名については、後述 #実名について を参照。
== 生涯 ==

=== 松代藩相続争い ===
信直は真田信之の庶長子である信吉の次男として生まれる。当時の沼田3万石は独立した藩ではなく、松代藩の分領(分地)であった。沼田は信吉死後、信直の兄の熊之助が統治していたが、寛永15年(1638年)に幼くして没した。当時は信直も兵吉を名乗る3歳児だったため、信直の叔父に当たる真田信政が相続した。信直には沼田領のうちから利根郡小川村に5000石を分与され、小川城跡の二の丸を陣屋として、寛永16年(1639年)から明暦3年(1657年)まで母親と共に居住した。
明暦2年(1656年)、祖父の松代藩主真田信之が隠居したのに伴い、沼田領主であった叔父信政は本家松代藩を相続し、沼田領は代わって信直が領有することになる。
信政は2年後の明暦4年(1658年)2月に死去した。松代藩はまだ存命だった隠居の信之の決定により、信政の子の幸道を後継者とし、幕府に届け出た。一方で信直は自身が信之の長子信吉の子であることを理由として「真田家の、松代藩の正統な後継者は自分である」と幕府に訴え出て幸道の本藩相続撤回を求めた。
信直には正室の実家の土佐藩老中で下馬将軍酒井忠清、信之の長女光岳院殿の嫁ぎ先である高力氏が後ろ盾となり、大規模な家督騒動を展開したが、6月、幕府は幸道をもって松代藩の後継者と最終決定した。このとき、幕命により沼田領は松代藩から分離独立させられ、信直を藩主として沼田藩として立藩した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「真田信利」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.