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真福寺貝塚(しんぷくじかいづか)は、埼玉県さいたま市岩槻区城南3丁目に所在する縄文時代後期から晩期の集落跡で、貝塚と泥炭層からなる。泥炭層は真福寺泥炭層遺跡とも呼ばれている。 == 概要 == 大宮台地の岩槻支台の標高10メートルから13メートルに位置している。縄文時代後期から晩期にかけての集落遺跡で、径約150メートルの環状貝塚を中心に、周囲の泥炭層遺跡から構成される。遺跡は、台地西側に入りこんだ綾瀬川の小支谷の沖積低湿地にまでひろがる。 大正末年の大山史前学研究所による発掘調査を初め、数回にわたり調査が行われ、結果、縄文時代晩期の竪穴住居跡及び土偶、勾玉、打製・磨製石斧、石鏃、石棒、砥石、独こ石、磨石、凹石、曲石、X字形石製品、耳飾り、土版、骨角器等とともに多数の土器などの遺物が出土したほか、貝塚は・ヤマトシジミの主淡貝塚で、直径150メートルの馬蹄形、または円形に散在することが判明した。 泥炭層にあるためクリ、クルミ、トチ、ウリ、ソバなどの種子の遺存状態は良好で、その他、貝殻や貝層中の獣骨類など動物遺体も豊富に出土し、貴重な考古資料となっている。 また、この遺跡から出土した土器は、1934年(昭和9年)に山内清男により真福寺泥炭層式〔安行Ⅰ・Ⅱ・Ⅲa・Ⅲb・Ⅲcという縄文時代後・晩期の土器編年〕として提唱されたこともあり、関東地方における縄文時代晩期前半の標識的な土器であり、歴史的価値が高い。 1940年(昭和15年)東大が貝塚を発掘調査し、そこから検出した住居跡は一辺10メートルの大型住居跡であるとして注目された。その後坂詰仲男は約8×7メートルのものが3回くらい改築されたとの考えを報告した。1965年(昭和40年)慶大が泥炭層を発掘調査し、土器編年研究を進めた。1988年(昭和63年)いわき市の調査で貝塚は直径150メートルの円形であると結論づけられた。 なお、この遺跡から出土した高さ16センチメートルのミミズク形土偶は、ほぼ完形をなし、国の重要文化財に指定されている(土偶は長らく個人所蔵であったが、2003年に東京国立博物館が購入し、館蔵品となった)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真福寺貝塚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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