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【名詞】 1. ultimate truth 2. essence (in Buddhism) =========================== ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness ・ 真諦 : [しんだい, しんてい] 【名詞】 1. ultimate truth 2. essence (in Buddhism)
真諦(しんだい、サンスクリット:Paramārtha パラマ-ルタ、499年 - 569年)は、西インド生まれで中国に渡来した訳経僧、真諦三蔵。鳩摩羅什、玄奘、不空金剛とともに四大訳経家と呼ばれている。旧字体表記では、眞諦。また、『続高僧伝』の本伝では、音訳表記によって、拘那羅陀や波羅末陀と書かれており、意訳で真諦、あるいは親依という、と記されているが、一般には真諦という呼称で通用している。 == 生涯 == 西インドのウッジャイニー(ウッジャイン)で生まれる。インド僧であったが、扶南国にいた所を梁の武帝に招かれ、以後経典の翻訳にたずさわる。大乗仏教の中でも瑜伽行唯識学派を伝えた。 梁の548年(太清2年)、真諦は広州を経由して建康(現在の南京)に到着した。しかし、時は侯景の乱に端を発する梁末の動乱さなかの都であり、勧進元の武帝も亡く、もはや昔日の面影は失われていた。 真諦は、その後の梁末から陳にかけての難を蘇州や杭州の地に避け、訳経事業を開始した。困難な状況の中でも、一生涯に翻訳した経論は、76部315卷に達した。しかも、その中には、『摂大乗論』、『倶舎論』、『金七十論』などの重要な経論が含まれていた。 晩年には、仏法の求通の時ではなく、渡来した真意を阻害されていると感じ、南海を経てインドに帰ることを決意する。しかし、それも成功せず、広州に留まり、刺史の要請によって再び訳経に従事し、また、講経・講論に努めた。真諦が没する前年には、真諦に帰依した一門が、建康仏教界への復帰を求めた。しかし、都の有力な僧の間から反対意見が相次いだため、実現することはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真諦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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