|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真部 豊(まなべ ゆたか、1968年6月6日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都足立区出身。元日本ジュニアフェザー級王者。現役時代は宮田ボクシングジム所属。「史上最強の証券マン」と呼ばれた。 == 来歴 == 東京都立芝商業高等学校卒業。偕成証券(現:かざか証券)に勤務し、運動不足解消に当時開業して間もない宮田ジムの門を叩く。当初はプロになる気はなかったが、ジムに通ううちに面白さに目覚めた。 長身のサウスポーで試合運びがうまかった。試合の録画放送があった際には、解説者から「真部君はクレバーで負けず嫌いですからね」と評されていた。世界戦を望んでいたが実現しなかった。 1990年5月15日、プロデビュー戦から5連勝を収めた。12月21日、東日本バンタム級新人王を争うも5RKOで敗れた。 1992年11月9日、A級トーナメント決勝戦で過去に1勝している折田実に敗れ2敗目を喫し、準優勝となった。 1996年1月6日、日本ジュニアフェザー級王者新井泰に挑むが10R引き分けとなり、戴冠ならず。 1996年11月10日、7月13日に新井泰を10R判定で破り王者になったばかりの福島恭四郎に挑戦するも10R判定でまたも戴冠ならず。再起戦で1勝を収めた。 1997年12月13日、熊本市水前寺体育館で、3度防衛中の福島恭四郎への再挑戦に10RTKO勝利を収め、ついに王座を獲得。その2日後に子供が生まれ二重の喜びとなった。その後ボクシングに専念するため証券会社を退職し、鳥海純・北島桃太郎らを退け4度の防衛に成功した。 2000年2月14日、5度目の防衛戦で福島学に10R判定で敗れた。当初は再戦を希望したがそのまま引退した。 引退後はインターネット関連企業の営業に従事したが、2002年5月25日亀有にマナベジムを設立し、会長として後進の指導にあたっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「真部豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|