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真里谷信興 : ミニ英和和英辞書
真里谷信興[まりやつ のぶおき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [こう]
 【名詞】 1. interest 2. entertainment 3. pleasure 

真里谷信興 : ウィキペディア日本語版
真里谷信興[まりやつ のぶおき]
真里谷 信興(まりやつ のぶおき、永享5年(1433年)? - 永正8年6月24日1511年7月28日))は、室町時代戦国時代の大名。上総武田氏武田信長の孫、武田信高伊豆千代丸?)の子。真里谷信勝真里谷信清の父。真里谷城城主。通称は八郎五郎。官位は三河守。法号は道鑑。
祖父の信長は元々甲斐武田氏出身だったが、享徳の乱の混乱に乗じ、古河公方に味方し、元々上杉氏の領国であった上総に勢力を築くことに成功し、上総武田氏の祖となった。後に信長は子の信高を庁南城に置き、自身は真里谷城に孫の信興と共に拠り、真里谷家を興した。信興の事蹟は祖父信長の在世時から確認されており、1462年、『飯富宮梵鐘銘』の銘文にある「三河守清嗣」に比定されている。1464年には真如寺の開基にもなったという。
祖父と父が亡くなった後は、弟の武田道信(庁南家)と共に上総の両武田と称される存在であったという(『鎌倉大草紙』)。1479年には扇谷上杉家太田道灌千葉自胤を擁立し、千葉孝胤など古河公方側の将を討伐するため上総に侵攻し、上総武田氏も攻撃を受けた。信興は庁南家の道信と共に抵抗したものの、道灌の攻勢の前に降参を余儀なくされたが、後に道灌の勢力が衰え、自胤が武蔵に撤退し勢力を保つことができた。
永正8年(1511年)に死去。戒名は真如寺殿照堂道鑑大居士。
== 参考資料 ==

*戦国人名辞典編集委員会 『戦国人名辞典』武田道鑑の項(嶺島英寿)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「真里谷信興」の詳細全文を読む




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