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真野春美 : ミニ英和和英辞書
真野春美[まの はるみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

真野春美 : ウィキペディア日本語版
真野春美[まの はるみ]

真野 春美(まの はるみ、1907年1月12日 - 没年不明)は、京都府出身のプロ野球選手二塁手遊撃手)、パシフィック・リーグ審判員
== 来歴・人物 ==
東山中学(現・東山中学校・高等学校)在籍中に、1925年夏の甲子園に出場(2回戦で優勝した高松商に0-14と大敗)。東山中学卒業後は、明治大学に入学。田部武雄(後に東京倶楽部藤倉電線でもチームメイトになる)を外野に追いやって、遊撃手のレギュラーとして活躍した。明大卒業後は、社会人野球草創期の強豪・東京倶楽部に入団。の第7回全日本都市対抗野球大会では二塁手としてチームを3度目の栄冠に導き、この大会から初めて設置された最優秀選手賞(後の橋戸賞)を受賞した。東京倶楽部がに解散すると、藤倉電線の社員だった真野は藤倉電線硬式野球部に移籍。同年の第12回都市対抗野球大会ではチームを初出場にして初優勝に貢献した。東京倶楽部,藤倉電線と辿ったチームメイトには田部の他に菊谷正一(立大出身。立大時代首位打者獲得)、中島治康(のち巨人)がいる。その後も全京都に所属し、社会人野球の世界で活躍した。打撃・守備もさることながら、走塁面が素晴らしく、ベースランニングに定評があったと伝わる。
国民野球連盟大塚アスレチックスに入団。既に40歳の高齢になっていたが、内野手としてプレーした。同年末、大塚幸之助に球団を売却すると、門前眞佐人板倉正男木場巌小林経旺らと共に翌、金星スターズに入団。41歳にして初めてプロ野球の世界に入った。しかし、助監督としてのポストを用意されていたのであり、選手としての出場は8月8日大陽戦(函館市民球場)で代走として出た1試合に留まった。同年にはファームの金星リトルスターズの監督も兼任した。
翌より再び社会人野球の世界に戻り、日鉄二瀬の監督に就任。監督時代の教え子に三船正俊投手、横井啓二捕手がおり、松木謙治郎とは明大時代の先輩・後輩だったという縁で、両選手を阪神に入団させる事に漕ぎ着けた〔猛虎人国記(19)加賀百万石の沈黙を破ったテスト生(大根)・サヨナラ弾で1面飾った笠間 スポニチアネックス2012年3月27日記事〕(横井捕手は石川県出身者として、初のプロ野球選手及びタイガース選手となった)。その後、パシフィック・リーグ審判員に転身した。
没年は不明であるが、長寿であり、2003年頃まで存命だったと伝わっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「真野春美」の詳細全文を読む




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